あぶない橋
オカルトや怪談の世界では、ここしばらく「呪物」がトレンドなのだそうだ。
呪物というジャンルは昔からあったけど、脚光を浴びるようになったのはここ数年だと思う。
オカルト界隈にもそのときどきのトレンドというのがあって、呪物が流行る前は事故物件が流行っていたし、それ以前には、都市伝説が流行ったこともあり、サイコホラーがブームだった時期もあった。
そして、いま呪物が来ているらしい。
呪物を定義できるほど詳しくないけど、一般に言うなら「科学で解明できない力が宿っている物品」ということでいいと思う。その意味では、お守りも呪物だし、呪いの藁人形も呪物である。
持ち主が次々に不幸に見舞われていった「呪いのダイヤモンド」というのがあるそうだが、ああいうのも呪物だといえる。
危ない橋をわたる
ぼくは呪物を入手したいと思わないし、深入りしたいとも思わないので、熱く語ることはできないのだが、いまの呪物ブームをけん引している人々を見ていると
と感じるし、そのことに共感と尊敬の念を覚える。
呪いのダイヤみたいな、人が手放したがるものをあえて集めるのが呪物収集のプロであり、それをなりわいにするということは、悪い言い方をするなら、自分を実験台にしているということだ。
呪物のプロにかぎらない
しかし、考えてみれば、これは呪物にかぎらない。プロというのは、常人にできないことをやるからプロであって、みなどこかしら危ない橋を渡っている。
昨今、大食いの危険性が取りざたされているけど、大食いのプロも、かなり危ない橋を渡っているみたいだ。
プロボクサーだってプロレスラーだって危ない橋を渡っているし、プロスポーツ選手は、みな、並の人間には耐えられないようなことをやっている。
映画俳優が、ときどき撮影中に大けがを負ったり、死亡することがあるけど、撮影というのは危険と隣り合わせなのだろう。つまり、役者も危ない橋を渡っている。つまり
というようなことをあえてやるのがプロだといえる。
危ない橋を渡らねばならない時
どんな分野であろうと、抜きんでようと思えば、なんらかの「いけにえ」に差し出さなければ、その先に行けないポイントがあり、そこでいけにえを差し出せるかどうかが、プロとアマとの境目である。
いいかえれば、どんな仕事にも奥の方にブラックな領域が存在するわけで、人から強制されてそこに追い込まれるのがブラック企業だとすれば、自らの意志で足を踏み入れるのがプロだ。
すすんでいけにえを差し出せるのは、そこに人生を賭けているからだと思う。
組織の中には2種類の人がいる
ぼく自身は、かつて組織に属していた経験があるんだけど、のらりくらりとやっていれば、ラクに生きていくことのできる世界だった。そして、そこには危ない橋を渡っている人と、渡っていない人がいて、頭角を現している人々は、みなどこかしら常軌を逸していた。
ぼく自身は、あのまま勤めていたら危ない橋を渡ることは生涯なかっただろう。安定した給料をもらいながら、常軌を逸するところに踏み込んでいけるほど、その仕事を好きではなかった。
ただし、フリーランスになってからはいやおうなくブラックな領域に足を踏み込んでいる。個人事業主の多くは、食うために危ない橋を渡っている。
よい子はマネしないでね
ただし、危ない橋は、自由を手に入れるためのトレードオフだと思っているので、ためらいも後悔もない。その点は、プロ野球選手も、プロユーチューバーも、プロの怪談師も同じだろう。
かれらも「よい子はマネしないでね」というようなことをためらわずにやっているはずで、好きでやっているのだから文句はないけど、はたから見れば常軌を逸しているように見えるだろう。
ぼくが呪物を避けるのは、命と引き換えにしてもいいと思うほどオカルトに賭けていないからだけど、何かに賭けているすべての人に共感している。
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