「赤信号みんなで渡れば怖くない」の不思議
歴史上、新しいテクノロジーが十分に安全だったことは一度もない。自動車も、飛行機も、エレベーターですら、最初は危険な乗り物であり、悲惨な事故が多発している。
そういった「やや危険」なものをどの程度受け入れるかについては、国民性の差がかなり大きい。
日本人は安全性をかなり重視する国民性だといえる。
日本には、インターネットにさきがけて、キャプテンシステムという独自のネットワーク技術があったんだけど、やがてインターネットに駆逐されてしまった。
キャプテンの開発にたずさわっていた人に聞いた話では、敗因は「セキュリティにこだわりすぎた」ことにあるそうだ。
インターネットは。どこの誰だかわからない連中とつながるわけだから、危険の多いテクノロジーである。ウイルスを仕込まれたり、詐欺にあったりする可能性がある。
一方、キャプテンは専用端末でなければつなぐことができないので安全だったが、インターネットの手軽さに負けてしまった。
問題が起こったらそのつど対処しようというインターネットのスピード感に、安全性を確保してからスタートしようという日本式が負けてしまったのだともいえる。
お掃除ロボットでも似たようなことがあった。
日本のメーカーが「仏壇にぶつかってろうそくが倒れて火事になるかもしれない」とためらっているうちに、アメリカに出し抜かれてしまった。
このように、リスクをどこまで受け入れるかについては、国民性がかなり出る。
そこでワクチンの話にもっていきたいんだけど、新しいテクノロジーを使ったワクチンに危険がないなどということはありえないわけで、問題は、そのリスクをどこまで許容するかだ。
さて、欧米諸国ではいまみんなマスクをしなくなっているそうである。しかし感染者数だけ見ればそんなに減ってない(笑)。
いつまでもマスクを外さない日本とは対照的なんだけど、どっちがいいかのかというと、ぼくにはどっちもやりすぎに思える。いずれにしろ医学的な問題ではなくて国民性のちがいなのは明らかである。リスクの意識がちがうのだ。
このことは、新しいテクノロジーを使ったワクチンについても当てはまるはずだ。
ワクチンは当初、万国共通で安全みたいな言い方をされていたけど、新しいものなのででリスクは当然あるわけで、そして、リスクの許容度には国民性のちがいが出るのだから「万国共通で安全」などということはない。
マスクを平気で外すヨーロッパ人にとって、このワクチンは安全と感じられるものだったかもしれないが、セイフティー重視の日本人からみればかなりのギャンブルだったはずだ。
しかし、なぜか日本人はワクチンをヨーロッパ人よりも大胆に打っているのである。だったらなぜいまマスクを外さないのだろうと不思議なのだが、いまマスクを外さない臆病さと、ワクチンを一気に打つ大胆さの根っこにあるものが、同じものだということは十分に考えられる。
これだけ安全にこだわる国民がたまーに大胆になるのは、「赤信号みんなで渡ればこわくない」なのだろう。ビートたけしさんってやっぱりすごいなあと思ってしまう。
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