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人はいくつになっても「あと20年生きられる」と思っている

高校生というのは、やたらと背伸びしたがるものだ。むずかしい映画を見たり、むずかしい本を読んだりしたがるものであり、ぼくもそうだった。

むずかしい本を読みたいと思って書店に行って、モンテーニュ著『エセー』というのを買ったんだけど、一巻目で挫折した。ちなみにぜんぶで六巻ある。

でも、当時(1980年代の半ば)、書店にはオウム真理教の雑誌も並んでおり、もしかしたら、ぼくはモンテーニュを買うかわりにそれを買っていたかもしれないのである。

当時のオウムは「世界を救う」といっており、ものすごく新く、そして立派に見えた。流行に敏感なクラスメートのあいだでは、フィリップ・K・ディックのSF小説や、『AKIRA』といったマンガと並んで、"オウム"の名前がささやかれていた。

ぼくもあそこで雑誌を買っていたら、そのまんま夢中になり、教団施設に足を運んでいたかもしれない。そうなっていたら、その後どうなっていたかわからない。

幸い、オウムに引っかかることはなくて、かわりにモンテーニュを買って返ったのだった。そして、読破には失敗したけれども、今でも印象に残っている箇所があるので紹介したい。第20章「哲学をきわめるとは死ぬことをまなぶこと」の一節だ。

どんなに老いぼれても(中略)体内にまだ二十年の寿命があると考えない者はない。

エセー(一)p.153

つまり、人はいくつになっても「まだ20年生きられる」と思っているものだ、ということである。心に残ったので、以降現在に至るまで、長い期間をかけて確かめてみたのだが、これは本当だった。

以後の人生で出会った多くの人は、50代の人も、60代の人も、70代の人も、80代の人も、口をそろえて「どうせあと20年もすれば死ぬんだし」と言ったのである。モンテーニュの慧眼はすごい。

なぜ彼が「20年」と書いたのかは定かでないけど、経験則ではないだろうか。ぼくのしるかぎり、「あと10年」と言う人も「あと30年」と言う人もいなかった。たぶん10年では短すぎるし30年では図々しいと感じるのだろう。

前段にこういう下りがある。

老いも若きもみな同じようにしてこの世を去っていく。一人として、たった今やってきたばかりというようにしてこの世を去ってゆかない者はない。

言い換えれば、人間は全員、「人生は短すぎる」と思って生きているということだ。ぼくも50代に入って

人生ってあっという間だな・・

と感じることが多くなった。いずれ「今やってきたばかりなのに」と思いながらこの世を去ることになるのではないか。

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