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バランスを取ることしか考えていない

今日の内容は、自分ではすごく大事なことだと思っているので、なんとか伝わるようにがんばって書いてみます。

1.バランスを取ることしか考えていない

さて、ぼく自身はおしゃべりな人間でいつもガヤガヤしている。とはいえ、"自分の意見100%"でなにかを語るということはあまりない。かといって周囲に付和雷同しているのでもない。どちらでもなくてバランスを取りたいということをいつも考えている。

先日、すでに「なぜピンクのパンツでいけないのか」という記事でいったことと重なるのだが、ぼくがピンク色のパンツをはいているのは、スーパーの店じまいセールでピンク色のパンツが大量に余っていたから、その「余り物」を買っているだけである。

「ピンクのパンツをはいている」などと言うととっぴなことを言っているように受け取られがちだが、ピンクが好きなわけでも、ウケを狙っているのでも、あまのじゃくなのでもなくて、空いているポジションを取っているだけだ。もし、グレーのボクサーパンツが余っていたとすれば、今頃グレーのボクサーを履いているだろう。

言論も同じで、やや場の空気を乱すようなことを言ってしまう場合が多いけど、本人としては、人気のないポジションに入ることで、全体のバランスを取ろうと思っていることがほとんどだ。

2.ここ数年、バランスを取らないといけないことが増えてきた

子どもの頃からそういうところがあったと思う。皆がいっせいに誰かの悪口を言い出した場合は、あえてその人のいいところを指摘するようなことをしていた。「擁護」という空きポジションにはいることで、全体が一つの方向に流れていくのを避けようとするクセがあるのだ。

こう言うとまるでいい人ぶっているように思われるかもしれないけど、実際には悪目立ちする。皆が特定の誰かの悪口で意気投合して「気持ちよくなって盛り上がっている」状態に水を差す感じで嫌われるし、「気が強い」と勘違いされることもある。

でもぼく自身は、全体が一つの方向へ向けて盛り上がっていくのに対して「なんかヤバイ・・」という感じが心の中にわきあがってきて言わないでいられなくなっているだけなのだ。

とくにこの数年、そういう「あまのじゃく」なポジションをとらなければならないことが増えてきた。なにかの話題について自分が心情的には否定派だったとしても、全体が否定に傾いている時にはあえて肯定派のポジションを取るる、というようなことをよくやる。

流れに逆らうわけだからある程度の根性が要るんだけど、それでも自分の信念を述べているわけではない。あくまで空きポジションに入ってバランスを取ろうとしているだけなので、「ヘンな根性を出してつまらない誤解を受ける」という損な役だ。それでもやらずにいられない。

ワクチンを例にとれば、(これはあくまでたとえであって思想信条を述べているわけではありません)たとえば、ぼくがワクチンについてやや懐疑的な立場をとっていたとしよう。それでも、全体が懐疑に流れている場ではあえて肯定的なポジションから意見を言ったりする。

そうだ!そうだ!

と全員が意気投合している雰囲気に対して、ぼんやりした危うさを感じてしまって反射的にそうなっちゃうのである。

あるいは、ウクライナでも同じことで、日本の主要メディアでは、「ゼレンスキー政権=民主主義」という図式が定着しているので、あえて

ゼレンスキー政権にもあきらかに狂信的な面があるよ

という人気のないポジションをとる。

だからといって親ロシアなわけでもなく、ネット上にはロシアに肩入れしているコミュニティも存在するので、そういう場ではあえて欧米メディア寄りのポジションから意見を言うこともある。

超自然現象についても全く同じで、過度に信じ込んでいる人に対しては懐疑的なことを言うけど、鼻からバカにしてかかっている人にはわりに肯定的なポジションから語る。

じゃあ、どっちなの?

と言われると困るのだが、おおぜいで救命ボートに乗っているような気持ちなのだ。みんなが右舷に偏った時には左舷に寄りかかるし、みんなが左舷に寄った時には右舷にポジションを取る。

ほんとのところはどっちなの?

と言われても、

沈まないようにポジション取りしているだけです

としか答えようがない。言いたいことをストレートに言っていることなどほとんどなくて、いつもバランスをとり、風通しを良くしようとしている。

3.若い人を無意識に排除するようなことは避けたい

もうひとつ例を挙げておくと、参加者全員が50代から60代で、放っておくとオヤジ色に染まるコミュニティというのも存在する。

そういう場では、あえて「最近の若い人はこういう流れみたいですよ」というのを口にすることがあるんだけど、

君だって若くはないだろう?

と言われてしまう。でも、別に若ぶっているわけじゃなくて、全員で右舷に寄ったら沈むので左舷の空きポジションに移っているだけなのだ。

オヤジ色で意気投合すればそりゃ気持ちはイイかもしれないが、ひょっとすると若い人だって見ているかもしれない。彼らを無意識に排除するような空気はできれば壊したい・・というふうに思っちゃう性分なんだよな。こどものころからそうなんだけど、まちがっているのかな。

でも、サッカーの試合などを見ていればみんなぼくみたいに動いている。たとえば攻防が右サイトに偏っている時には、もともと右サイドの選手でも、あえて左に流れることがある。その選手は「左に行きたい」というエゴで左に出ていくのではなくて、チームのバランスを考えて左にポジション移しているだけだ。

ぼくがここに書いていることも基本的には同じで、バランスを取ろうとしているつもりなんだけど、きっと多くの人たちからは「おとなしくグレーのパンツを履けよ」みたいに思われているのだろう。

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