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赤信号みんなで渡れば怖くない

集合知と集団思考は、字面がにているが、似て非なるものだ。集合知は、みんなの知恵があつまって全体がカシコクなること。

集団思考は、みんながあつまってバカになることである。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の考え方だ。一人一人はまともなのに、集まるとバカになる。集団浅慮ともよばれ、日本の組織にはありがちなことである。太平洋戦争は、みんなで赤信号をわたり、みんなでダンプにひかれた。オウムやナチスもそうだったし、魔女狩りもリンチもおなじだ。ネット炎上もそうである。

集合知があれば、みんなで赤信号を渡ることにはならない。かならず「それは危ないんじゃないか」という少数意見が、ネコのひげのように作用して全体に伝わり、集団の動きに影響を与える。

ちなみに、集団思考に陥る条件は3つあるとウィキペディアに書いてある。

1.団結力のある集団が、
2.構造的な組織上の欠陥を抱え、
3.刺激の多い状況に置かれる

この3条件を満たすと集団思考に陥りやすいのだそうだ。

いま、世界は3の「刺激の多い状況」に置かれている。見えないウイルスが蔓延し、人がたくさん亡くなっている。ここで1や2が満たされると集団思考に陥りやすい。

1の団結力とは、軍隊や体育会系のようなマッチョで排他的な結束力である。2の組織上の欠陥とは、同質性のことだ。似た者同士が群れると、異質な意見が排除されやすい。

つまり、せっぱつまった状況で、同質的な組織が、One for all All for oneのような結束力をもつと危険なのである。

ところで、ぼくは最近、集合知といえるような状態を経験した。その集まりでは、まず1の団結力がなかった。全員、目的もバラバラで、結束力もなかった。2の同質性もほとんどなかった。考え方や経験値が多様で、議論はもつれた。

しかし、わずか数時間の話し合いでものの見方や考え方はつぎつぎに変化したのである。一人での思考や読書ではとうてい不可能なことであり、集合知のすごさを体験したと言っていいと思う。

みながバラバラなのがよかったのだろう。毎日つるんでいると、多様性はしらずしらずに排除され、同質化が進んでいく。「トライ」に最適化された組織は、ゲームのルールが「迷路脱出」に切り替わると機能しなくなる。集合知を生かしているつもりが集団思考に陥いる。

街中の信号機がいっせいに青信号に変わるときがあるが、そこをみんなで渡るのが一番怖いのではないか。

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