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ひとは「一生もの」という言葉に弱い

ひとは「一生もの」という言葉に弱い。一生ものとは、コトバンクによれば、

生涯にわたって使い続けることができる品。長く使える良品。

ということだそうだ。少々高くてもいいものを買って長く使おうという考え方自体は悪くなく、サステナブルで今に合ったライフスタイルだといえるだろう。

読者の物欲が解消されるブログ

出版社アスキーのウェブサイトに「T教授の「戦略的衝動買い」」というブログがあるのだが、テック系のガジェットを買いまくる大学教授の日々がつづられている

T教授はあきれるほどたくさんのものを買う。衝動買いがすでに生きざまと化しているというか、そのへんの「買ってみました!」的なレビューとは一線を画す迫力で、長いこと愛読しているんだけど、お勧めだ。

ただし、自分が興味のある品物を買おうかどうしようか迷っている時の参考に読むものではなくて、むしろ逆で、T教授が煩悩にふりまわされている姿を見ているうちに読者の物欲が解消され、物を買いたくなくなるという、徳の高いお坊さんの法話のようなありがたいコラムなのである。

一生ものの腕時計

さて、このT教授は、「一生ものの腕時計」を定期的に買っている。

たとえば、2016年12月07日の記事でT教授は「一生付き合えるホンモノの腕時計を買おう!」と以下のように主張する。

覚悟して腕時計を買うなら、冠婚葬祭に困らない程度の“チョイオサレな なんちゃってミニマルデザイン腕時計”を卒業して、一生付き合えて心底スゴイと思うホンモノの腕時計のローン返済で苦しんでみるのはどうだろうか!?

という言葉で締めくくっているが、ほんとうの「一生もの」なら一生に一つあれば済むはずだ。しかし教授自身は、あきれるほどたくさんの「一生もの」の腕時計を買い込んでいるので説得力がない。

ちなみにこの記事のトップ画像は、T教授の「シチズンの一生もの」である。シチズンだけでこれだけあり、ほかにも、セイコーやスイス製の「一生もの」の腕時計などもよく買っている。

それでも人は「一生もの」という言葉に弱い。

こんなサイトも見つけた。

長く愛せる“一生もの”の革靴を手に入れよう

だの

一生ものの「ステンレス製キッチンツール」名鑑

だの

長く使う必需品には妥協せず、本物にこだわることが大人としての品格を高めてくれます。

だの書き連ねられているが、こういうサイトを見る人ってのはそもそも

買うのが趣味

なのであり、いろいろ買っている人たちだ。しかし、その手の人に限って「長く使う必需品には妥協しない」とか「長く愛せる“一生もの”を」など言われる財布のひもが緩む。

買い物をしまくっている自分に罪悪感があるからだろう。「一生もの」という言葉はその罪悪感を和らげてくれる魔法の言葉なのだ。

「一生もの」はあきらめが肝心

話は変わるが、スピーカー(音楽を聴くステレオのスピーカー)というのは基本的に一生ものである。プレーヤーやレコーダーやPCといった他の精密機械とちがい、構造が単純なのでめったなことでは壊れない。

また技術もすでに確立されているので、テクノロジーというより楽器に近いし、単純な割にはスペースをとるという意味では家具と似ており、ピアノのようなものだと思えばわかりやすいだろう。

だからよくよく考えて購入し、買ったら床に根が生えるまで愛用するのが作法である。なのだが、オーディオ好きには「聞くより買うのが趣味」というタイプが結構いて、リスニングルームというのは往々にしてこうなる。

一生ものが5ペアある

ほんとうは真ん中の左右にある一番大きいこげ茶の奴(ダイヤトーン)だけを一生鳴らしこめばいいのだが、つい「浮気」を繰り返すうちにこういう風になってしまう人が後を絶たない。

「一生もの」と付き合っていくというのは、人間関係における「結婚」と変わらない。そして結婚には

あきらめがかんじん

なのだ。しかし買うのが好きな人は、新しいものを買えばなんかいいことがあるんじゃないかと、つい青い鳥を追いかけてしまうんですね。

ちなみにぼくのスピーカーは1993年に6万円だったのだからたいしたものではないが、自分で納得したうえで選んだのだから、壊れるまでこれ以上の「青い鳥」は追いかけない。

勉強しない人ほどたくさんの参考書を買い込むのと同じで、買ったら頭が良くなるような錯覚を覚えるのだが、実際には1冊を繰り返すほうがいい。そして、1冊にこだわるには、自信よりあきらめが肝心なのである。

創造物は増える一方だ

今日は何をいいたかったのかというと、じつは映画や音楽や小説なども同じだということ。ほうっておくとどんどん数が増えていく。

ライブのような一過性のものはやがて消えていくけれど、再生芸術は増えていくことはあっても減ることはない。

地球の水も空気も循環しているので、太古から現在まで増えてはいないし、生き物も生まれては死んでいくので、総体としては地球のキャパ以上に増えることはない(=絶滅する)んだけど、人の作り出したコンテンツだけは一方的に増えている。まるでエントロピーである。

ぼく自身は小説も映画も

良いものを繰り返し楽しむ

のが好きなので、そんなにたくさんはいらないのだが、これだけ増殖してきて、この先どうなっていくのだろう?とときどき思うことがある。未来のある時期に、太陽フレアなどの影響でストレージの大部分が失われたりするのだろうか。

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