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親しい人に対して感情労働はしない
ぼくにとっての「ほんとうに親しい人」というのがどういう人なのかを考えてみたんだけど、それは
感情労働をしなくていい相手
だとわかったので書いてみたい。
具体例
たとえばいまからだれかと一緒にラーメン屋に行くとしよう。しかし、その日、ぼくはあまり体調が良くなかったとする。
その場合に、ラーメン屋にむかいつつ
今日はなんだか胃の調子が悪いんだよなあ~
と軽く言える相手が、ぼくにとっての「親しい人」だ。
調子が悪いのにいいふりをすると疲れるので、そういうことはやりたくない。だから、思ったことを言う。
餃子とビールだけにしておこうかなあ・・
という意味合いで言っているだけなので、そのまま受け取ってくれる人と付き合う。
食べる前に水を差すようなことを言うな
とか、
自分と一緒に行きたくないとにおわせているのか
などとかんぐってくる相手といっしょにいると疲れるので、そういう人とは付き合わない。
プライベートで感情労働はしない
体調の悪いときに
今日はラーメンを食べたかったんです!
みたいなフリをすると疲れるのは、感情労働をやっているからだ。
感情労働とは労働である。「顧客の要望に合わせて自分の感情を押し殺す」のが感情労働なので、仕事の付き合いでラーメン屋に行くならば、それも仕方ないだろう。
だが、親しい相手とラーメン屋に行くにもかかわらず、労働をしなければならないとすれば、それは親しい相手とはいえない。
しかし今の日本社会にはこの手の、
仕事ではないにもかかわらず、感情労働を求められるシチュエーション
があまりに多い。いいかえれば、日常のさまざまな場面であまりに多くの感情労働を求められるため
日本は息苦しい
と言われているのだと思う。
親しき中にも礼儀あり
ただし、親しき中にも礼儀ありなのはもちろんである。
ぼくだって、かってに相手のスマホを覗いたりはしないが、この「礼儀」と感情労働が混同されているような気がするので、別物だといいたい。
いま周囲を見渡してみると
感情労働をしなくていい相手は自分とペットだけ
という人が多いように見える。つまり、お一人様である。
おひとりさまが悪いとは全然思わないし、ぼくもひとりで映画を見たり本を読んだりゲームをするのが大好きだ。
しかし、何かに集中したいから一人でいるのと、他人と一緒にいると気疲れするので一人でいるのとはちょっと違う気がする。
だれかといっしょにいるときにずーっと感情労働をしてないとけないというのは、世界的に見てもこの国特有のちょっと異様なことだと思う。インド人やブラジル人はそんなことはやっていないように見える。
ぼくのやり方
では、どうすれば、プライベートな付き合いで感情労働をしなくてすむようになるのだろうか。僕のやり方は、
言いたいことをポンポン言ってしまう
ことである。それで気を悪くする相手は、勝手に去っていく。
そういう人たちは、「感情労働をする世界」に生きている人たちなので、無関係でいいのである。そして残った人々からは
こいつはこういうやつなのだ
と思ってもらえるようになる。そうすると、ラーメン屋に向かいつつ
今日はいまいち体調が悪いなあ
といっても、あいては
また勝手なことをほざいているな
と思ってスルーしてくれる。すくなくとも、ぼくは他人とそういう付き合い方を望む。
ひとりでラーメン屋にいくより、「今日はいまいち胃の調子が悪いなあ」とほざいても気にせず付き合ってくれる相手と一緒に行くほうが好きなのだ。
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