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平和をあきらめるのはまだ早い

仕組み化という概念がある。よく言われるのはビジネスの仕組み化だ。

「仕組み化」とは属人性を排除し、いつでも、どこでも、誰が行っても同じ成果を出せる方法を構築することです。例えば、一人の優秀な社員がやっていることをほかの社員にもできるように環境を整えたり、全手動の作業を全自動に切り替えたりすることなどが「仕組み化」に当てはまります。(仕組み化って何?

つまり自動化するということ。たとえばビジネスとITを組み合わせてうまいぐあいに自動化すれば、経営者は何もやらなくても勝手に利益が上がるようになる。

一度つくりあげてしまえば、あとは自走してくれる機械のようなシステムを作るのが仕組み化だ。

ところで、仕組み化できるのはビジネスだけではない。良いことだけでなく、悪いことも仕組み化できる。たとえば差別を仕組み化すると、「構造的差別」になる。

貧困を仕組み化すると「構造的貧困」になる。これについては以前、このnoteでも紹介した。

みんな良かれと思ってやっているのに貧困が生まれる状態が「構造的貧困」と呼ばれるもので、グローバル化の中で世界中に広がっている。(「自分なりの逃げ道を用意しておく」)

たとえば、こういう例がある。

自給自足で暮らしていた南の島に宣教師がやってきてコーヒー豆の栽培を教える。島は、コーヒー豆を国際市場に売ることで豊かになっていく。

しかし、やがてグローバルな安売り合戦が始まって島のコーヒーは半値で買いたたかれる。しかしすでに自給自足のインフラは壊滅しており逃げ道はなく、安い値段での労働を強いられる。

この場合、宣教師はよかれとおもってコーヒー豆の栽培を薦めたわけだし、島民たちも「自分の意思で」それを選んでいる。しかし、長期的に見れば自分たちのクビを絞めているのである。

これが格差拡大の仕組み化だ。

だれもが豊かになりたいという願望を抱いている。この願望を近代資本主義という仕組みに「入力」すると勝ち組と負け組が生まれ、自動的に格差が拡大し、貧困が生まれる仕組みになっている。

仕組みなのだから、だれがやっても同じ結果が出る。ひとたび、社会にこの仕組みが埋め込まれると、あとは、「豊かになりたい」という人々の思いを燃料にして自動的に格差が広がっていく。

さて、この見方をもう一歩推し進めてみよう。

ビジネスや経済だけでなく、争い事も仕組み化できるのである。仮に「構造的紛争」とでも呼んでみよう。

いちどこの仕組みを社会に埋め込んでしまうと、あとは戦争の永久運動が起こる。

簡単にいうと「やったやられたの繰り返し」ということだ。「復讐のしあいこ」である。これが連綿と続いているのが人類史であり・・なんつってエラそうなことを書けるほどの学識もないんだけど、どうやらそうらしい。

いじめた側は忘れるけど、いじめられた側は忘れない。

戦争もおなじで、やられた側は恨みが残る。それは世代を越えて受け継がれ、次の戦争を生み出す。そうやって自動化されたシステムに沿って戦いは繰り返されてきた。

ある日突然、ヒトラーやらプーチンという悪魔が現れて、それまで平和だったところに争いをもたらすのではない。もともと共同体の中に蓄積されてきた恨みのエネルギーがあって、それが臨界点に達した時に火をつける指導者が現れるのである。

ところで、日本にはこの「恨みの連鎖」があまりない。どちらかというと水に流す国民性だから、この感覚がなかなか理解できないし、それはそれですばらしいことであり、その点をぼくは誇りに思う。

広島・長崎についても、「アメリカに核爆弾を投下して同じ苦しみを味あわせて復讐してやろう」などと思っている日本人はいないだろう。あんな悲惨なことが二度と起こらないように、おたがい水に流して核兵器のない世の中をつくりましょう、というふうに情緒に流れてオバマと抱き合う。「ノーモアヒロシマ」になるのが日本の良いところだ。

しかし、世界はそうではない。やられたらやり返す。それでやり返されたらさらにやり返す。これの繰り返しで何千年も来ており、そもそもの発端が何だったのかすらわからなくなっている。

たぶん古代エジプト文明あたりまでさかのぼるのだろうが、卵とニワトリのような復讐劇の長い連鎖がある。

いまウクライナで起こっていることも、とうぜんその流れの中にある。

今よかれと思ってプーチンを糾弾し、ロシアを糾弾している人が大半だろう。ただしロシアを排除したら万事が解決するという思考パターンにはまってしまうと、争いの歯車を回すことになるだけだ。

仕組み化されているので誰が悪いわけでもないが、今後、経済がさらに悪化し、NATO諸国とロシア双方に遺恨を残す。それがやがてさらに大きな戦争を生む。

このままで行ったら、2029年から今よりもはるかに大規模な戦争になり、いまNATOとよばれている地域は荒れ放題になる可能性がとても高い。

でもあきらめるのはまだ早い。あと7年あるのでやれることはまだある。これは「定められた未来」ではなくて、埋め込まれたプログラムに過ぎない。そこを抜け出すためにやれることはまだ残っている。

そのためになにをすればいいかというと、「全世界の平和を愛する人たちが、その思いの力を使うこと」だと聞いている。

具体的に言うと「映像の様に日々平和な世の中を思う」こと。これが一番有効な対抗手段だ。「映像の様に」である。

ぼくはやっています。一人でも多くの人が、映像の様に日々平和な世の中を思ってください。

別にアブナイことは頼んでないつもりだ。あなたが平和をありありとイメージしたからと言って警察に捕まるわけでもお金を取られるわけでもない。単なるいい人である。

オバマと抱き合える日本人には「映像の様に日々平和な世の中を思う」力があるはずだ。

このことについては、これからもしつこく語っていく。「もうだめだ」というその日まで手を変え品を変えて書いていくつもりだ。今回はダメだったけど、それでも諦めるのは早い。1%でも可能性が残っているなら、あきらめるのは早い。

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