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アウェイな人生

作家の吉行淳之介さんが、太平洋戦争後の食糧難について書いたエッセイがある。

今、手元に本がないので正確な引用ができないのだけど、だいたい以下のような内容である。

吉行さんは、戦後食べるものがぜんぜん足りなくて、それでもがんばって小説を書いていたそうだ。すると最後には皮膚から粉がふいてきたという。栄養失調の末期的な症状らしい。そうなると、原稿用紙に向かっても一文字も出てこない。少し年齢が上なら死んでいただろう。生きながらえたのはひとえに若かったからであり、文学とは、衣食足りてはじめて成立するものであると。

この体験をのちに雑誌に発表したところ、左翼から「堕落だ。軟弱だ」という批判を受けたという。

「彼らはほんとうの飢餓というものを味わったことがないのだ」と吉行さんは記していた。

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吉行さんのこのエッセイは、ぼくが小説や映画やマンガやゲームを考える際のベースラインになっている。

ぼくは文学部の出身で、映画が好きだ。したがって、このnoteも映画や小説を中心に語るのがいちばんラクだし、統一感も得られるし、読者の支持も得やすい。

ぼくは吉行さんほどの飢餓におそわれたことはない。ただし、上記のエッセイをベースに考えるならば、、衣食が足りて、雨露をしのげて、はじめて成立するのが文芸であり、映画であり、エンターテイメントであり、文化だということになる。つまり、ある意味ぜいたく品である。

今後、日本で自然災害が起こるかどうか、食糧不足におちいるかどうかはわからない。ただし、まったくなにもないとも考えにくいので、まあ、備えておいたほうがいいのはまちがいない。「自分は庶民だから食料自給率のことなど心配する必要はない。マンガを読んで映画を観ていればいい」という風にはどうしても思えない。

一方、世の中には政治や経済や安全保障について、口角泡を飛ばして議論するのがスキな人もいる。ぼくはそういうのがスキではない。しかし、いま、苦手だからやらなくていいとも思わない。文学というホームフィールドで戦えばいいという風に、どうしても考えることができない。

ふりかえってみれば、これまでもまずまずのアウェイな人生だったけど、これからもあえてアウェイを選んで戦っていくんだなー。自分でそういう人生を選んでいるんだなーと思っています。

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