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「句読点おじさん」を笑っているばあいではない

日曜日から自宅のネット回線がつながらない。「集合機」とよばれる装置が故障したらしい。水曜日まで修理できないといわれた。

いまは4GのテザリングをつかってPCで書いているが、月曜の記事(銀の弾丸は存在するのか)はスマホで書いた。書こうと思えば指一本でも数千字書けることがわかったわけだけど、ぜんたいの構成が見えにくく、 文章の流れもつかみにくかった。

あるていどの長文を書くには文章を構成しなければならないが、さいしょから人差し指だけでやれると思わないほうがいい。ぼくが指一本でnoteを書けたのは、スマートフォンが登場するよりはるか以前からボールペンやワープロを使ってたくさんの文章を書いていたからだろう。

ことばには話しことばと書きことばがある。話すときに使われるのが話しことばで、書くときに使われるのが書きことばだ。しかし、スマートフォンが登場してから、話しことばで書く文章法が普及した。「テキスティング(=テキストメッセージング)」と呼ばれている。これはみなさんがLINEやTwitterなどでやっている書き方であり、ようするにチャットである。

こどものころから短いチャットしかやっていない人が、いきなり指一本で長い論理的な文章を構成できるようにはならない。作家の佐藤優さんがこういうことを言っている。

 スマホでメールなりLINEなり機械的な反射で書いていても、絶対に文体はできません。しゃべり言葉には文体はありませんし、反射するようなやり方では思想はできない。(中略)書く力が育たなければ、読む力も伸びません。ネットを覗き、スマホをやっているだけだと、いくら文字を打ったとしても書く力は身につきません。あっさりいいましょう、馬鹿になります(会場笑)。多くの国民が馬鹿になると(中略)到底読むに堪えないようなものが出てきます。(『いま生きる「資本論」』pp.196-197)

佐藤さんは、プリントアウトをすすめる。一回書いたものをプリントアウトしてボールペンで筆を入れ、それを打ち直して送るという作業をくりかえすと自分の文体ができてくるのだそうだ。または、いろんな名作小説を原稿用紙に筆写していく方法も有効だという。そのうち自分にフィットした文体というのが出来上がってくるという。

ちなみに、ひろゆき氏もにたようなことを言っていた。最初にさわったPCがタブレットか普通のパソコンかで子供の将来が変わると。「じっくりと作業したり、考えながらものづくりをするのには、タブレット型PCは不向きです。やはり、パソコンでないと厳しい」「絶対に子どもにはタブレット型PCを買い与えないでください」。

さて、さいきん以下のようなネット記事を目にした。「“おじさん構文”にはなぜ“読点”が多いのか」

「明日は、楽しみにしてるよ」「体調に、気をつけてね」などなど句読点を多用する文章はおじさんっぽいのだそうである。なぜなら「一般に、若い世代は、LINEを含むSNSの文章で句読点をあまり使」わないからだ。

それはなるほどそのとおりだと思うんだけど、おじさん構文を笑っている人の中にはスマホでしか文章を書いていない人がいるだろう。そういうひとが二十歳でいきなり論理的な文章力を身につけるのは容易ではない。しかし、これができなけば複雑な考えを人に伝えることができないし、そももそ複雑なことを考えることすらできなくなってしまう。

一方で、句読点を多用するおじさんがそれを減らすのにさほどの苦労はいらないのである。句読点おじさんを笑っているばあいではないということだ。

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