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学校で習うとキライになる

「学校で教わること=イヤなこと」という図式がなりたつことが多い。

ぼくは、体育のマラソンがイヤだった。しかし、20代後半にはジョギングにめざめ、その後ずいぶん走った覚えがある。つまり、体育でむりやり走らされるのがイヤだっただけなのだ。

逆にいえば、ほうっておけば好きになるばあいもある。1980年ごろに「マイコンブーム」というのがあったんだけど、パソコンが世の中に出まわりはじめた最初の最初ですね。

でも、当時の中学生には自分のパソコンなどなかなか手に入らない。だから、みな電気店のデモ機をいじっていた。店員に追い払われながら、しつこくいじりにいったものである。その中から今のITテクノロジーを担う人材が多数輩出した。

10年ほど前に、バイトで高校の非常勤講師(英語)をやったことがあるんだけど、当時すでに各学校ではITの授業をやっていた。実際の授業を見たわけではないが、板書が残ったままになっているのでだいたいのことがわかる。

ぼくがみた板書はネットワークの基礎の基礎で、とても大事な内容だった。ぼく自身が同じことを30代に職業訓練校でまなんだときには、あまりにおもしろくて「インターネットってうまくできてるな~、考えたヤツ天才だな」と授業中に口走って失笑を買ったことがある。

でも、その高校の生徒はみな無気力に座っているのである。ネットの仕組みというのは知れば知るほどおもしろいものなのだが、「学校で教わること=イヤなこと」になってしまうんだろうな~。

また別な話だが、ある大学の文学教師いわく「ぼくが授業で使った作品は学生がみなキライになる」んだそうである。ヘミングウェイの『老人と海』などを使っていたようだ。『老人と海』ってのはおもしろい作品ですよ。老人とカジキが三日三晩の死闘をするのである。たまたま友だちにすすめられてよみはじめたらおもしろくてやめられないだろう。しかし学校でよまされると嫌いになってしまう。

3.11以降、放射線について夢中で勉強した人は多いだろう。ぼくもその一人だ。そして今スパイクたんぱく質について熱心に勉強している人も多いにちがいない。ぼくもそうだから。

しかし、やがて、これらも文科省のカリキュラムに組み込まれて、こどもたちは中間テストのためにだけにイヤイヤ、窓の外を見たり、隠れてマンガを読んだりしながらスパイクたんぱく質について勉強するようになる。

すごいムダである。

どうすればいいかは思い浮かばないんだけど、たとえば教科書はみんながタダでもらっているから、破ったり、落書きしたりナメたことをするわけだ。お気に入りの『ONE PIECE』に落書きされたり、やぶったりされたらだれだって怒るでしょう。一律に上からものを与えるのがいいのかどうか、わからないですね。

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