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なぜ性格はタイプに分かれるのか

タイプ論は人気

YouTubeで、岡田斗司夫氏が性格の「タイプ論」をやっている動画を見ていたら、なかなか面白かった。

「タイプ論」というのは、人間の性格をいくつかのタイプに分ける理論のことだ。

有名なところではCGユングの『タイプ論』がある。ユングは、人間の性格をまず内向型と外向型の2つに分けた。それぞれをさらに思考型、感情型、感覚型、直感型の4つに分類するので、2×4=8種類のタイプに人間を分類した。

つまり、外向的感覚型(リアリストタイプ)とか内向的感情型(コーディネータータイプ)などにわけていくのである。ちなみにネット診断をやってみたところでは、ぼくは内向的直感型(クリエイタータイプ)だそうである。

自分の性格がどのタイプに属するのか興味のある人は、こういうのやら

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いろいろと無料診断のサイトがあるのでぜひどうぞ。

岡田斗司夫のタイプ論

さて、岡田氏のタイプ論はもうちょっと単純で、まず内向型と外向型に分けて、それぞれを4つではなくて2つに分ける。

外向型を2つにわけると、「司令型」と「注目型」になり、内向型を2つにわけると「理想型」と「法則型」になる。

岡田氏はさらに、それぞれに該当している有名人を挙げていた。

司令型・・・堀江貴文さん
注目型・・・岡田さん自身
法則型・・・ひろゆきさん
理想型・・・宮崎駿監督(とその弟子たち)

である。

またそれぞれのタイプが人生で重視しているものを漢字2文字で表現していた。

司令型・・・勝利
注目型・・・仲良
法則型・・・自由
理想型・・・真実

なのだそうである。

気になる人とは岡田さんの動画を見て自己診断していただきたいが、岡田さんさんによれば、この「岡田式タイプ論」の説明を受けた時の本人のリアクションを見ればどのタイプかわかるのだそうだ。

ぼくはこの説明を聞いて

人のパーソナリティという立体的な構造物を、タイプ論という平面的な図式に当てはめようとするのはムリがあるのではないか

と考えたので、こういう懐疑的な反応を示すタイプは「理想型」に分類されるのだそうだ。座右の銘は「真実」。そう言われればそんな気もしてくる。

興味のある人は自分で診断してもらうとして、話を先に進めよう。

性格タイプ論はなぜ成り立つか

ぼくはこのタイプ論の説明を聞いたときに、上の疑いを抱いただけでなく、もう1つのことも思ったのだった、それは、

そもそもなぜ「性格のタイプ論」が成り立つのだろう?

ということである。言い換えれば、「なぜ人の性格はいくつかのタイプに分かれるのか?」ということだ。

岡田式は人間の性格を4つに分けている。血液型占いも4つである。西洋占星術では12分類される。東洋の易では8×8=六十四卦に分類する。

分類のきめこまかさはさまざまだが、人の性格を複数のタイプに分類できると考えている点は同じであり、では、なぜ性格はいくつかのタイプに分けられると言えるのだろう?その根拠はいったい何なのだろう?ということを、この動画を見終えてからずーっと考えていた。なんせ理想型なのである。真実一路である。

類似性と同一性

性格をタイプに分けられるということは、同じタイプの人同士の性格が

似ている

ということだろうとまず思った。(ここで「当たり前のことをいうな!」と思ったあなた。まだ先があります。)

つまり性格をタイプ分けできる第一の根拠は、似ているからである。AさんとBさんが同じタイプに属するのは、性格に類似点があるからだ。

では、次にこの「類似性」とはいったいなんなのだろう?

さて、さきほど2×2=4とか8×8=64などと書いたけど、タイプというのは大体掛け算で出来上がっている。

このことから僕がイメージするのは細胞分裂だ。もともと1つだった細胞が2つに分裂する。そうやって分裂した細胞がさらに2つに分裂する。これで2×2=4である。これを無限にくりかえして細胞は増殖していく。

細胞はもともと1つの同じ細胞だったものが、コピーされて増殖していく過程でコピーミスが起こって変異体が出現する。

そうやって元々は同じDNAを持っていた細胞が似ているがやや異なるものへと変わっていく。そうやって「同じもの」から「似ているもの」へと変わり、やがて「似ても似つかぬもの」へと隔たっていく。

こうして、生物は単細胞生物から進化してきたわけで、言い換えれば、同一性から多様性へ拡散してきた。空を飛ぶものや、海を泳ぐものや、陸を走るものなどさまざまな「タイプ」へと分かれてきたのである。

似ているもの同士が集まって、同じものが生まれるのではなく、もともと同一だったものがしだいに変化を繰り返して、やがて似ているものへと分かれていく。

性格のタイプも同じだとすれば、タイプ論の根拠になっている「類似性」の土台になっているのは「同一性」ということになるだろう。

すなわち、

もともと人類の性格は1つだったものがさまざまにわかれていった

のではないだろうか。

同一性から多様性へ

一見すると無茶を言っているように見えるかもしれないが、生物の進化の過程とも合致するし、宇宙がビッグバンからスタートしてしだいにエントロピーを増大させていく様子とも合致している。

そうした宇宙の始まりから終わりまでの、途中の段階で、ホモサピエンスという種族も出現した。それも最初は1種類だったのが、次第に変異を繰り返してさまざまな人種へ変化していき、そして性格も最初は大差なかったものが、しだいにいくつかの類型へと分化していったのだと考えたら自然だ。

性格は最初1つだったのだ。

性格のタイプが当たり前のように成り立つのは、宇宙の始まりからやがてエントロピーが増大し、多様性の極限へむかう旅の途中の、ゆるい類型が認められる過渡的な地点にあるからだという風にも言えるだろう。

「だからなんなんだ?」と言われても困るのだが、今日の考えをまとめるなら、性格のタイプ論の根拠は、性格の類似性にあり、その類似性の根拠は同一性に求められるはずだということ。言い換えれば

もともと人類の性格は1つだったものがさまざまにわかれていった

ということなのだと思える。

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