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自然がつねに正しいとは限らない

なにごともギリギリまで我慢するというのは、よくない。

これは人間にかぎらない。たとえば地震。一番怖いのは、長年ためこんだエネルギーが一気に爆発する大地震だ。

地殻が動くこと自体は、悪いことではない。地球が新陳代謝を行っているしるしだから健康な証拠だ。

ただし動くにしても、チョコチョコ動いてくれればいいんだけど、長年ため込んだものを一気に吐き出されると、いろいろなものにしわ寄せがいく。そのせいであらたな歪みが作り出され、それがまた長年負のエネルギーをため込んでいく。そして、やがてとつぜん爆発を起こす。この繰り返しである。

これを避ける方法はないのだろうか。

人間だって、がまんするだけがまんしてある日突然いかりを爆発させるというのが一番よくないパターンである。

革命や戦争は、人間社会における地震みたいなものだ。「社会に激震が走った」などという言いかたがされるのも、そのことを表している。

結局は、ギリギリまで我慢するというのがよくないんだよな~。自然も人間も、その点は変わらないと思う。

ギリギリまで我慢してある日突然爆発する人のことを「キレる」人というけれど、自然界だって、ギリギリまで我慢していきなり激震をもたらすのならば、それは「キレる」自然である。ほめられたやり方じゃない。

もうちょっと頻繁に文句を言ってくれれば、こちらだって手の打ちようがある。そういう意味では、かならずしもつねに自然が正解というわけはなくて、自然界もギリギリまで我慢しすぎるというという欠点があると思える。

自然もアップデートしなければならない面があるのだろう。アップデートと言っても自然がいきなり変わってくれるわけではないので、南海トラフを人間があらかじめちょっと動かすとか、そういう技術が生まれればいいけど、それははるか先の未来の話なのだろうなあ。

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