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考えのバランスがとれるのに一週間かかる

だれしもが自分に都合の悪い意見は否定したいと思う。無自覚のうちに自分に都合のいい意見だけに耳を傾けている人はわりに多い・・・というかほとんどの人がそうではないか。ぼくもそうなのかもしれない。だから人のことは言えないのだが、それでもあえて自分を棚に上げて言わせてもらうなら、偏った考えばかりを主張する人のいうことは知的にみごたえがしないというか、おもしろくない。

ぼくは、バランスの取れた考えというのがスキである。これは平均台や綱わたりを見ているのとおなじだと思う。バランスを崩すのはカンタンだが、バランスをとるのはむずかしいし見ごたえがある。

かんがえのバランスをとるというのは、言うのはカンタンだが本当にむずかしいことだ。最近、自分の内面を観察していてすこしパターンがわかってきたのでシェアしてみたい。

ぼくの場合、ほんとうに自分に都合の悪い情報を受け入れるのにはどうやら一週間くらいかかるようである。最近、自分に都合の悪い意見を受け入れなければいけない機会がつづけてあったので、よくわかってきた。

まず最初の3日くらいは自分に都合の悪い意見を否定するための考えがつぎつぎに頭に浮かぶ。そしてその後、逆に振れるのだ。都合の悪い意見の側にグラッとかたむくのである。これまで正しいと思っていた仮説が完全に覆ったように感じる。

それからさらに3~4日たってようやく、元の意見とそれをくつがえす意見の双方を等分に見ることができるようになる。そして、どちらが正しいのかを見極めるための観察がスタートするのである。ここにいたるまでに、どうやら約6~7日を要するというのがわかってきた。

わかりやすい例を挙げるなら、「Aという人物はとてもイイやつだ」という意見を長年抱いていたとしよう。そこへ信頼できる筋から「Aは詐欺師だ」という情報が舞い込んできたとする。すると最初の3日間くらい、ぼくの心には「Aがいいやつだ」という論拠ががつぎつぎにわいてくる。

しかしその後、考えはきまって逆側に振れる。「そうか!Aは詐欺師だったのか。いろいろ思い当たるな・・」などと思う。これまでに蓄積した情報がすべてウソだったかのような気分になる。

それからさらに3日くらいたってようやく落ち着き、どちらの意見にもそれなりの言い分が含まれているように思えてくるのである。そこに至ってようやく、Aが本当はイイやつなのか詐欺師なのかを今後自分の目で見極めるための観察ポイントが浮かぶ。そういう心境に至るまでだいたい一週間かかるということだ。そのことが最近分かった。

これは振り子の動きに似ている。まず否定に振れる。次に否定の否定に振れる。それから徐々に落ち着いてきて、さいごに真ん中で静止する。おもしろいのは、ぼくじしんは最初からつとめて冷静にうけとめているつもりなのである。しかし、あとで振り返ってみると最初は冷静ではない。冷静をよそおいつつなんだかんだと否定しているの自分を思い出すとおかしい。

瞬時に反対意見を受け入れて心のゆれない人がいれば相当なものだと思うが、そういう人はなかなかいないようだ。

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