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人の一生なんてたいしたものではないが、それでもいいものだー永井荷風の日記

人の一生なんてたいしたものではない。どれほど有名になろうと、歴史に名を残そうと、しれている。

そう言い切れるほどの人生経験をぼくは持っていないが、有名人の日記を読むと、しみじみとそう感じさせられる。

永井荷風の日記

ぼくが愛読していて、そして気負って生きているすべての人におすすめしたいのは、永井荷風の日記『断腸亭日乗』である。

ただし荷風の人生は、傍目には決して地味なものとはいいがたい。むしろ派手な人生と言っていいだろう。

荷風は、戦国武将永井直勝の子孫であり、漱石・鴎外はもとより、谷崎潤一郎、泉鏡花、西園寺公望などなど、教科書に出てくるさまざまな作家や政治家との交友関係でも知られるし、本人も日本文学史に名を残している。

ヨーロッパにも外遊し、横浜正金銀行のニューヨーク支店でバンカーをやっていたこともあり、女性関係も派手で、二度結婚して二度離婚し、二度目の相手は新橋の芸妓だったので物議をかもした。

その後は、芸者や銀座の女給や私娼などとの交友が盛んで、生涯遊び人として知られた。

明治・大正・昭和の激動の時代を生き抜き、関東大震災も、東京大空襲も体験している。また、戦後は、吉田茂から文化勲章を授与され、式典後の食事会では、高松宮、昭和天皇と隣り合わせで食事をとっている。

生涯、金にも困らず、亡くなったときにはカバンの中に2334万円の貯金があったそうだ。

こう書くと、派手で波乱万丈なように見えるが、日記を読むとじつに淡々として、わびしく、孤独で、正月に訪ねてくる人もなく、そして、僕と同じ55歳の時点では、原稿用紙に向かう体力も気力もない自分のことを「老人」と呼んでいる。

高橋昌也さんの朗読

荷風全集には、39歳から81歳までの生涯をつづった『断腸亭日乗』の全巻が収められているが、大変長いもので、ぼくは通読したことはない。

短くまとめられた岩波文庫の『摘録 断腸亭日乗 上・下』が手元にあるけど、これも折に触れてパラパラとめくる程度であり、普段は、新潮社のオーディオブックを聞いている。朗読は、俳優の高橋昌也さんだ。

高橋昌也

このオーディオブックは文庫版をさらに短縮したもので、上下2巻で2時間ほどに収まっている。すでに絶版だけど、全国のほとんどの市立図書館の視聴覚ライブラリーに入っているので簡単に借りることができるだろう。

日記のいいところは、ストーリーが特になく、淡々とながれていくところであり、だから寝床に入って聞いているうちにうとうとして、うまい具合に眠れるところである。そういうわけで、入眠剤として愛用しているんだけど、たまに最後まで聞いてしまうことがある。

荷風の最晩年

最初の方は荷風も30代で元気もよく、毎日いろんなところに行き、色んな人と会い、色んなものを食べ、色事についてもかなり露骨なことが書いてあるし、東京大空襲で逃げ惑うあたりにも、迫力がある。

しかし、なんといっても聴き所は、最晩年のくだりだ。体を壊し、気力もなくなった荷風は、もっぱら日付と、空模様と、昼ご飯を食べた場所だけをつづるようになるのだが、それでも書くことを止めない。亡くなった年の日記をちょっと引用してみよう。

昭和39年
3月11日 晴。正午大黒屋。
3月13日 晴。正午大黒屋。
3月15日 晴。正午大黒屋。
3月17日 雨また陰。正午大黒屋。
3月18日 晴。正午大黒屋食事。
3月19日 晴。正午大黒屋。
3月20日 晴。正午大黒屋。

・・このようにたんたんと続き、4月30日に亡くなるのだが、日記は前日の29日まで記されており、21日からは食事の描写もなくなり、天気のみが記される。

4月22日 晴。夜風雨。
4月24日 陰。
4月25日 晴。
4月26日 日曜日。晴。

このあたりまで聞いてくると眠くなるどころか、29日へ向けて目がさえてきてしまう。高橋昌也さんの朗読も、わずかづつゆっくりとしてきて、活舌も悪くなり、声もかすれ、抑揚に乏しくなり、老人が、無心に棒読みしているような感じになってくる。荷風がゆっくりと弱っていく様子が目に見えるようだ。

4月27日 陰。また雨。小林来る。
4月28日 晴。小林来る。

そして、

しがつにじゅうくにち さいじつ くもり・・

と読み上げた後で沈黙が訪れる。ゆっくりと息を引き取っているかのようなおわりかたで、聞くたびに、臨終に立ち会っているような気分になる。

実際には、翌朝、通いの手伝い婦が血を吐いて倒れている荷風を見つけたのだそうだ。

人の一生なんてたいしたものではない。そうとしみじみと感じさせてくれる一方で、淡々と生き、淡々と死ぬ人生はいいものだとも感じさせられる。

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