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日本の人は冷たい

数か月前のことだけど、NHKでタクシー運転手の密着取材をやっていた。例のやっかいな病気が拡大していたころである。

タクシー業界は受難の時期だったと思う。そこを取材する意図だったのだろうけどぼくはまったく別のところが気になった。

取材の途中で、おそらく西アジア出身らしい2人組が繁華街から乗り込んできて、東京郊外まで走った後でお金が足りないと言い出したのだ。

「足りないと言われても困ります」と運転手さん。

「でもこれしかないんですよ」と客。

客のがわは、多少は確信犯的なところがあったと思う。目的地についてから「金がない」と言えばなんとか押し切れるだろうと思ったのではないか。母国だったらそれですんだかもしれない。いやたとえ日本でも、個人の飲食店なら、あるいは個人タクシーならば「しょーがないな、次は気をつけてよ」で済んだかもしれない。

しかし、このタクシーは大手で、距離や運賃はおそらくコンピュータ制御されていた。運転手さんの裁量は効かないし、不正もできない。

運転手さんはしかたなく「じゃあ私が払っておきますから」ということになった。

さらに密着をつづけているとと今度は、一万円払って「釣りはいらないよ」という客が現れた。運転手さんはけっきょく自腹分を取り返した格好になった。そこで彼は取材陣に向かって言う。

「こういう風にね、うまくできているんですよ」と。「こういうことが最近増えたので将来についてあまり悩まなくなりました」と。

これは立派な心掛けだが、これをイイ話で終わらせてしまうのはちょっと違和感がのこる。

運転手はゆうずうの聞かない先進国の管理システムの中で動いている。一方、アジアからの客はワイロでなんとでもなるような社会を前提にして運賃交渉をしてくる。

ここで運転手が「困ります」で貫きとおして警察に届け出れば、客は「日本人は冷たい」となるだろう。結果、運転手さんはシステムと外国人客のあいだのあつれきを「自腹」という形で抱え込んでしまった。

今回はたまたま1万円の客が現れたおかげで、運転手さんとシステムのあいだの矛盾は解消された。だがいつもこうなるとは限らない。

ゆうずうの聞かないシステムと、わがままな客のあいだで板挟みになった従業員が死に追い込まれたりするのは日本ではわりに聞く話だ。

今の日本はすでに『男はつらいよ』の理屈は成り立たなくなっている。道ばたでいきだおれている人をきがるに葛飾柴又のわが家へつれ帰ってメシを食わせてやるというわけにはいかない。

「日本人もつめたくなったねえ…」と寅さんなら言うだろうか?

もしぼくが、日雇いの建設現場で働き、ウチに帰ったらたくさんの子どもがはしりまわっているような生活なら、「おうおう、おれんとこへこい!金はないけど心配するな!メシくらい食わせてやるよ」と格好いいことも言える。

しかし現実のぼくは、いつメールで仕事が来るかわからない生活だし、いざ作業に掛かったら最後は分刻みになることもある。「おうおうおれんとこへこい」でカッコつけて、締め切りに遅れたらこっちだって食えなくなる。

一見するとふらふらと生きているように見えるかもしれないが、夜が更けてから100mの短距離選手のような瞬発力と繊細さ要求されることもある生活だ。100mを練習中のアスリートに「メシ食わせてくれ」という人がいるかな。しかし、アスリートとのちがいはテンションが可視化されているかどうかだけだ。

いまの先進国では、ぼくのように目に見えないシステムの中で短距離走をやっている人がたくさんいる。この運転手さんの生命線もコンピュータ管理されたタクシーシステムの中にあるのだが、乗ってきた客にそのシステムは見えない。

そして、「日本人は冷たい」と言われてしまうんだよな~。でも、新興国だってこのままいけば遅かれ早かれ僕らと似たような具合になってくるとは思うんだけど。

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