塀のない刑務所に住みたい
昨日、Apple社が新製品の発表をした。
新型のApple Watchが話題を呼んでいる。
それについて、NYタイムズの論説記事を読んだ。
「Apple Watch is a Private Road(Apple Watchは私道である)」というもの。
私道とは、公道にたいする私道といういみである。
ここで筆者が「公道」になぞらえているのはWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)。
だれでも利用できて、あらゆるものがあらゆるものにつながる情報のハイウェイだ。
それに対して、「私道」と呼ばれているのは、Apple Watch、Amazon Echo、スマートテレビ、自動運転車など。
これらの機器は、インターネットよりも制限された、より閉鎖的なネットワーク空間を形成する。
エコーが生活にとけこむと、人はアマゾンの外側にサービスを求めなくなる。
アップルの顧客はアップルの世界で完結する。
こうして閉鎖的なネットワークによる囲い込みが進んでいるのではないか?という論旨だった。
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いかにもリベラルらしい言い分ではあるが、あるていど当たっている。
しかし、そもそもの発端は「アプリ」である。
いま、スマホでは、アプリを使ってウェブにアクセスする人が大半だろう。
アマゾンアプリ、楽天アプリ、ヤフーアプリ、ユニクロアプリ、フェイスブックアプリ、ツイッターアプリ。。。
NYタイムズにだってNYタイムズアプリというのがちゃんとある。
これらのアプリは実質「他のサイトに移動できないブラウザ」でしかない。
ブラウザがあれば上記のサイトすべてにアクセスできる。
だが、ユニクロアプリを使えば、ZOZOTOWNで買い物することはできない。
囲い込みは、ずいぶん前から進行している。
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かつてインターネットは
「ヒッピーとヤッピーの交差点」
と呼ばれていた。
インターネットを切り開いたのは、ヒッピー魂だ。
かれらは、政府の規制にとらわれない自由なコミュニティーを求め、デジタル空間にその可能性を見出した。
一方、ヤッピーとは、ヤング・アーバン・プロフェッショナル=都会に住む専門職の若者のことである。
フェラーリに乗ってウォール街にのりつける若いエリートビジネスマンを想像してもらうとわかりやすい。
かれらは、インターネットが金のなる木だと見ぬいてそこに群がった。
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優秀なビジネスマンのおかげで、デジタル空間がより便利で、使いやすく、万人に開かれたのはじじつ。
ただし、ぼく自身は、多少ふべんでも自由を担保したい。
自由といっても選択肢(=冗長性)を確保したいだけである。社会秩序を破壊したいわけではない。
たとえていうなら、「塀のある刑務所」でなくて「塀のない刑務所」に入りたいようなことだ。
「塀のある刑務所」は出ようと思っても出られない。
しかし「塀のない刑務所」には「とどまる/逃げる」の選択肢が与えられている。
塀がないのは、信用されているからである。
とどまるのは自分の意志だ。
いずれにしろ、脱獄する気はない。
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アプリも、Apple Watchも、テクノロジー的に「塀」がつくられる。
外に出たくても出られないようになっている。
これは、信用されていないということだ。
先日NHK BSで放映されたフランス製作のドキュメンタリー『高度監視社会 70億人の容疑者たち』という番組をみたが衝撃だった。
人は信用できない生き物だということを前提として開発された高度な監視システムが、じょじょに世界を席巻しつつある。
こんご、世の中がこの方向へ進んでいくのは、ほぼまちがいない。
ぼくらは、さまざまなテクノロジーの塀で囲まれた刑務所の中で、べんりで安全に暮らしていくのだろう。
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