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いまやれることはひとつしかない

最近、ヤフコメを読むことがおおい。何百件も読む。

以前は、読んだとしても、せいぜい最初の2~3件だった。ああいう場所では対立が生じやすく、誹謗中傷も多く、炎上もしばしばおこるので快適な場所ではない。

そもそもヤフーに限らず、コメント欄には人の視野を狭めるはたらきがある。

ニュース記事は「出されたお題」みたいなものであり、それに反応するコメントは、どうしたってお題に対する賛成か反対にならざるを得ない。そのお題が設定したワクの範囲内でしか、ものを考えることができなくなるからだ。

一方、自分で発信している人ならわかることだが、真っ白なスペースでいざなにかを始めるということになると、「何かに対する賛成・反対」というだけでは成り立たない(もの申す系は除外します)。

たとえば、仮に「NASA、火星移住計画を公式発表」というニュースがあったとしよう(そんなのないけど)。すると、ヤフコメ欄には

「すばらしい。人類の偉大な第一歩だ!」
「バカげた記事。すでに移住テストを行っているのは周知の事実。」
「そんなことよりインフレ対策に力を入れてほしい」
「この計画は、軍産複合系に資金を流すための隠れ蓑である」
「JAXAはいまだに月に行けてない(草)」

みたいな意見がなん百とずらずら並ぶのだが、ぜんぶ批評である。

一方で、「火星移住計画」そのものは、無から有を生み出すようなことであり、更地にショッピングモールをつくるようなことに近い。

モールの代わりにオフィスビルを建てるという手もあった。駐車場にしてもよかったわけだし、陸上競技場にすることもできた。コンサートホールだって立てられたし、ごみ処理施設にしたほうがよかったのかもしれない。

こういう無数の可能性の中から、限られた予算とさまざまな制約の中で「ショッピングモール」が実現する。ヤフコメ(コメント一般)というのは、そのモールに対して「いい悪い」を言い合っているだけであり、つまり批評でしかない。

というわけなので、これまで大体無視してきたんだけど、さいきん数百件くらいヤフコメを読むようになったのは、ウクライナ情勢を日本人がどう受け止めているのか、ほんとうのところを知りたくなったからだ。

歴史上まれにみる偏った報道がどう受け止められているのか。太平洋戦争のころと変わっていないのか。

しかし、読んでみたところいい意味での驚きがあった。10件に1件くらいは、「この人、相当わかっている」という意見が混じっている。もしかすると、うっぷんのたまっているジャーナリストや官僚が匿名で投稿しているのかもしれない。

たとえ連日ワイドショーでウクライナ軍の撮影したビデオを垂れ流しにしているとしても、バカだからそういうことをやっているわけではなく、「わかっちゃいるけど仕方がないのだ」ということならまだ救いがある。

ところで、この記事のゴールは時事問題を論じるところにはないので、もう少しお付き合いください。ともかく、十分にわかっている人がかなりいるというのが一つ目の収穫だった。

それから、単細胞なコメントを投稿している人の心理もよくわかった。その多くは、中国の脅威に対する潜在的な恐れに突き動かされて目が曇っているのである。

かつてさかんに取りざたされた「中国バブル崩壊待望論」の焼き直しだ。それが形を変えて「ロシアを亡ぼすべし」になっているのがよくわかった。これが2つめの収穫だ。

というわけで
①意外にわかっている人がおおい(先の大戦時とは違う)
②単細胞な人の心の働きを理解できた

こうした収穫を踏まえたうえで、では何を言いたいかというと、こういうのをずらーっと読んでいると、自分には何がやれるのか、何をやらなければならないのかがはっきりしてくるというのが一番の収穫だったということを言いたい。

今やれることは自衛である。ぼくにやれることはそれしかない。

コメントの中には、「ウクライナ問題などを論じても仕方がない」という意見もちらほらみられる。真の問題は、この国の腐った政界と官僚と財界であり、外国のことなど論じている余裕などないという意見である。これもごもっともなのだが、しかしご自身が参院選に出馬する気がないのなら、だまっているほうがまだましだ。

ぼくにできることは、まず自分を守ること。そして余裕があれば、自分の身近な人々も守ること。

たとえば、日銀のバランスシートの危険性は、何年も前から専門家が警鐘を鳴らしていた。だから昨年の半ばに世界がインフレに向かい始めた時点で、現在のような状況になることはすでに分かっていたことである。

1年以上の準備期間があったのだから、自衛をするチャンスは十分に与えられていた。いまごろ「クロダクロダ」と言っている場合ではない。

自分と自分の周囲の人を守ることが、ぼくにやれることの限界であり、それ以上大きなことはやれない。しかし、それは岸田さんもバイデンもプーチンも同じなのだ。しょせんは78億人が動かす巨大なシステムの歯車でしかなく、ほんとうは自分と自分の身近な人を守る以上のことをやれるはずはない。

これから起こるであろう危機のひとつ一つに対してできるだけ自衛し、身近な人々や仲間を守ること。それしかないとつくづく思い知らされる。

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