見出し画像

ことばがむなしくなるとき

依存症は脳の病気なのか

依存症のそもそもの原因は心にあるはずだ。たとえばアルコール依存症の人が飲まずにいられなくなった原因は心の中にある。

アルコール依存が進めば体がボロボロになり、止めるか死ぬかしかないということになって医者に止めさせられるわけだが、それは「体がもたないからやむを得ず止める」というだけのことで、何年断酒したとしても、依存のきっかけになったこころの問題が解決するわけではない。

しかし、依存症にかかった当人は、「ちょっとしたはずみで深みにはまってしまっただけ」だと言うことが多い。

そして専門家も、依存症は意志の強さや性格とは無関係の病気だという。

アルコール・薬物依存症の原因は、アルコール・薬物を使ったことにあるのであって、意志や性格ではありません。

依存症ってどんな病気?

厚労省のページにも

(依存症は)脳に変化が起きることにより症状が引き起こされる病気で、本人のこころの弱さのために起きている現象ではありません。

こころの病気を知る > 依存症

とある。

ぼくもこれまでそれを額面通りに受け取っていたのだが、患者が依存症に陥った真の原因は、そんなに軽々しいものではなく、もっと根深いものなのではないかと感じさせられるできごとが最近あった。

とはいえ、意志の強さは関係ないだろう。だらしない性格だとか、完璧主義者だとか、小心者だとか、わがままだとかいった、表面的な性格とも無関係だと思う。

しかし、単なる脳の障害だとも思えないところがあり、幼少期のトラウマと関係があるのではないかと思えて仕方がない。全員が全員そうだというつもりはないけど、そういう人も結構いるのではないか。

アダルトチルドレン

今調べてみたけどそういう考え方もあるみたいだ。いわゆるアダルトチルドレンと呼ばれるものである。

アダルトチルドレンとは、

子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。

アダルトチルドレンのカウンセリング・治し方

アダルトチルドレンの特徴は、

相手の評価に過敏になり自分に自信がもてない/自分の存在価値を確認できず、酒・ドラッグ・仕事などに溺れてしまう/対人関係が上手くいかず、居場所のなさ、生きづらさを感じる/というものです。

同上

というわけで、症状の中に「酒・ドラッグ・仕事などに溺れる」というのも入っているので、やはりそうなのだ。依存症の人が全員アダルトチルドレンだとは思わないし、軽い気持ちで手をだして脳のコントロール機能が壊れてしまっただけの人もいるのだろうが、アダルトチルドレンもふくまれているはずだ。

健全な(?)依存症患者は、酒を断ちさえすれば、また明るく楽しく生きていけるけど、アダルトチルドレンは、断酒しても、アル中のアダルトチルドレンが、断酒中のアダルトチルドレンに変わるだけである。お酒を飲んでも飲まなくても、心の深い傷を抱えたままだ。

知り合いにそういうタイプの人がいるんだけど、生きることに希望を持っていない。そして、周りはどうすることもできない。

カウンセリングとか、精神分析とか、催眠療法など、いろんな治療法もあるらしいが、それでどうにかなりそうな気がしない。

生きる力を持たない人

ぼくだって幼少期のトラウマは抱えているが、アダルトチルドレンというほどではない。

人生に希望を持っているし、自己分析をくりかえしえてあるていど乗り越えた。でも、それができたのは心の傷がそれほど深くなかったからだろう。

そもそも幼少期の問題がゼロの人などいないはずで、ぼく程度のトラウマを抱えている人はたくさんいる。ただし、その多くは、いい年をして自分に向き合うことなく、いろんなトラブルを起こしている。

自分の問題をすぐ他人のせいにする人。努力しないで他人の足を引っ張る人。SNSで誹謗中傷する人など。こういう人達に対しては、言いたいことがある。

「まずは自分に向きあって、自分の根っこにある問題に気づいて、さっさとオトナになれ」とこれまでも言ってきたし、これからも言うつもりだが、これはあくまで軽症者向けのメッセージだ。

重度のアダルトチルドレンには、こういうことを言っても無駄である。彼らは、甘えているわけでも、気合が足りないのでもなく、ただ生きる希望を失っている。

たとえば、宗教にすがる人がいるが、この人たちはぼくに言わせれば軽症の部類だ。宗教すがる気力があること自体、生きたいというエネルギーがある証拠だからましである。

SNSで誹謗中傷する人も、特殊詐欺で捕まる人も同じで、宗教にすがろうとか、誹謗中傷しようとか、他人をだまして大金をせしめようなどと言うのは、そもそも生きる力がある証拠なので、まだどうにかしようがある。

しかし、世の中には、悪いこともせず、人に迷惑もかけず、善良とすら言えるのに、ただ未来に希望を持っておらず、生きたいと思っていない人がいる。

そういう人には、体に気を付けろとか、人と交流しろとか、おいしいものをたべろとか、好きなことを見つけろなどと一応は言ってみるけど、むなしい。どうすることもできないことは、本当にどうすることもできないし、そのままにしておく以外にない。そういう人を前にすると、自分の言っていることなど、たわごとにすぎないと感じる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?