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「あれがないと困る」みたいな人生だけはイヤ

これまでいろんな土地で暮らしてきたけど、キライになった土地はひとつもない。どこもよかった。暑い地方も寒い地方もそれぞれのよさがあったし、せまい盆地も、だだっぴろい大平原も思い出せばみななつかしい。

好きな土地、好きなたべもの、好みの映画、好きな異性のタイプなど、ひとそれぞれ好みのゾーンというのがあるわけだが、ぼくはなんにつけてもわりにストライクゾーンが広いほうだ。

今後どこかに引っ越さなければならなくなったら、どこにいっても楽しくやれるだろう。都心に引っ越すことになったとしても抵抗はないし、離島に引っ越すことになったら、それでたのしみである。

ただし、好みがないわけではない。

もし、いま港区のマンションか、外房のマンションか、どちらかに引っ越せと言われた場合、しかも家賃は同じで広さも同じだと言われた場合(そんなことはありえないけど)、ぼくならまよわず外房にいく。

毎日、太平洋を見ながら暮らすのもいいし、魚もおいしいだろう。九十九里でサーフィンなんか始めてしまうかもしれない。

でも、多くの人が「外房と港区で家賃が同じなら港区に決まっている」と考えるのもわかる。

都心に暮らせば、いろんな人に会えたり、コンサートに行けたり、買い物が便利だったり、おいしい店が多かったりしていいのだろう。それもいい。しかし、そうでないと困るってものでもない。

ぼくはどういう人生でもいいと思っているタイプだけど、ただし「こうでないと困る」「ああでないと困る」という考えにとらわれた、不自由な人生だけはイヤである。

ところで、、スタバの前を通ると、あそこで勉強している人がかなりいる。いまどき感染リスクもあると思うのだが、それでもあそこで勉強しているということは、ああいう場所に行かないと集中できないのだろう。

不自由なことだな・・と思いつつ見ている。スタバでしか勉強できないなら、離島では勉強できない人なってしまうではないか。

とはいえ、都会を前提としている人だけが不自由なのではなく、田舎を前提としている人もいろいろ不自由である。

田舎では、クルマがないと生きていけないように思っている人がとても多い。しかし、たんなる錯覚だ。日本はネバダ州ではないので、自転車と公共交通機関があれば死にはしない。

「あれがないと困る」ということを言い出すときりがなくて、年を取ったら「〇〇歳までに○○○○万円ないといけない」というような考えになる。そういう人は「年金をいじられたら困る」という考えに縛られているようだが、ぼくは「抜本的にいじらないといけない」と考えている。なぜなら、このままではあきらかにマズいからである。

しかし、年を取るにつれて、この「ないと困る」みたいなものが強固になっていくように見える。

今日は年金問題について書こうとおもったんだけど、政治くさいのはいやだったので、こういう感じで書いています。

ぼくだってべつに生きていける自信があるわけではない。生きていけなければ、死ぬだけだ。

そんなことでびくびくしている人を気の毒に思う。自分がかわいい人ばかりが集まった国が、豊かになったり、活気が出たりするわけがない。びくびくしながらみんなで弱っちくなっていくだけだ。

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