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生まれながらにモテる人とは

世の中には、生まれながらにモテる人というのがいる。「生まれながら」はおおげさかもしれないが、 努力しなくても勉強ができる人がいるように、何の努力もなしに自然にモテる人というのがいる。

いわゆる恋愛強者というタイプで、人口の3割程度がこれ該当すると言われている。

恋愛強者は、思春期に入るとさしたる努力もなしに自然に異性と付き合い始めたりするんだけど、そういう人はぼくの見たかぎりでは、ルックスもさることながら精神面で成熟していることが多い。

成熟しているというのは、いわゆる「いい人」ではない。ぼくのまわりにもいわゆる「いい人」で、同性に好かれているにもかかわらず、さっぱりモテない人がいるが、そういうのではない。

成熟しているというのは、異性のこころにアピールして、色気のあるムードに誘い込むのがうまいということで、突き詰めればコミュニケーション能力に長けているということだろう。

異性と惹かれあうというのは(同性でもいいけど)、自分とは異質なものを相手に認めるから惹かれあうわけで、この異質なものが「色気」である。色気を醸し出すコミュニケーションは、同性同士のコミュニケーションとは異なる。

では色気とは何なのか。

色気とは間(ま)である

俳優の阿部寛さんは、若い頃テニスをやっていて、あのルックスで高身長だから雑誌のモデルにスカウトされるくらいにかっこよかったわけだけど、それでも「さっぱりモテなかった」と言っていた。当時の友人がそう回想しているのをテレビで見たことがあるので、本当にそうだったのだろう。

また、フェラーリ評論家の清水草一氏がよく、

カーマニアはモテない

と言っているけど、ほんとうにそうらしい。

なので、高身長であるとか、ルックスがいいとか、フェラーリに乗っているというのは、色気のある人がさらにモテるようになるための武器にはなるけど、色気のない人に色気を与えることはできない。

ならば、色気というのがなんなのかということだが、一言で言うと「余裕」である。よく「ガッついたらモテない」と言われるけど、あれの逆だ。

なにもしない

色気のある人には余裕がある。そして余裕というのは、

なにもしない

ことから生まれる。なにもしない間(ま)みたいなものを醸し出していると。それを相手が勝手に色気に誤変換してくれる。

これは男女とも同じで、女の人でもせかせかと相手の面倒を見ている人より、やや間(ま)のある人の方が、

なんだか色気がある

ということになるのだ。ただし、異性の前で間(ま)を醸し出すのは簡単なことではなくて、モテない人ほどテンパって余裕がなくなるので、よけいに色気がなくなるという悪循環に陥りがちだ。

冒頭に書いたように生まれながらにそういう間(ま)を作り出せる人もいるんだけど、たいていの人はそうではなくて、後天的に学習しなければならない。

間を学ぶには映画がいい

間(ま)を学習するには、モテる人の横にくっついてまねるのが早いけど、モテない人はモテいない人同士でつるんでしまいがちなので、なかなかそれも難しい。

ならば、本を読んで学べるかというと、ある程度は学べる。たとえば、いまぼくはこうして活字で書いているわけだが、これを読んで

なるほど・・間(ま)か

などとアタマで理解することは可能である。しかし「なるほど」と思ったからといって、明日から間(ま)を作れるようにはならない。

それを吸収するには映画が一番なのである。映画というのは上手に間(ま)をつくって色気を醸し出すものなので、見ているだけで間を学べる。

これがドラマになると、間(ま)が入るかわりにコマーシャルが入ってガッついてくるのであまり間を感じることはできない。また視聴率にあくせくしている余裕のなさも間とは正反対である。

ただし、「映画マニア」になってはいけない。間(ま)はの距離感が生み出すものなので、マニアのようにべったりとくっついてしまってはダメなのだ。映画マニアだけでなく、カーマニアでも、切手マニアでも、BLマニアでも同じことだ。

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