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ポリアモリー(複数恋愛)について
今日の内容には、性的描写が含まれています。なるべくあいまいな言葉づかいをこころがけましたが、それでもサファリパークのライオンのようなワイルドさがあります。苦手な方はご遠慮ください。
さて、性愛の悩みというのはかんたんに人に相談できない分、根が深い。LGBTQがこれだけ話題になるのも「自分の性を生きる」というたったそれだけのことを、できないで苦しむ人がいかに多いかということだ。
ぼくじしんは
男女はこうでなければならない
という考えは苦手だ。男女だけなくあらゆるものごとにおいて、こうでなければならないと決めつけられるのは苦手である。
自分がストレスフリーに生きたいので、周囲の人にもストレスフリーになってほしい。だから人の生き方にああだこうだ注文をつけたくはないし、固定観念をおしつけてくる石アタマ連中が苦手である。
ただし、「ひとつだけダメなことがある」と思っている。それは、
自分がストレスフリーでいられるなら、他人にはストレスを与えてもいい
ということにはならないということ。これだけはダメなのである。
ぼくの価値観だとか、世代の価値観だとかではない。「地球が丸い」みたいなレベルのことだ。
ウソで人を傷つけてはいけない
ということにすぎない。つまり当たり前のことなんだけど、性愛がからんでくると意外にかんちがいしている人がいるのでこの記事を書いている。
とはいえ、あとで告白するかもしれないが、ぼく自身人にエラそうなことを言えるような恋愛人生を送ってきてないんである。。。
さて、一口に性の多様性といっても、わりに人に理解されやすいものとなかなか理解されにくいものがあって、たとえば、同性愛というのは、わりに理解されやすいものだと思う。
男色についての最古の記録は「日本書紀」にあるそうだが、日本では江戸時代までぜんぜんタブー視されていなかった。空海も、信長も、家康も、芭蕉もみーんな男色を楽しんでいたそうだ。
ぼくも、大学時代に国文学の授業で井原西鶴の「好色一代男」という作品を学んだことがあるんだけど、そのテキストで学んだ主なことがらは
女性とのセックスを極めた男性は、男同士のセックスへむかう
ということだった。これで単位をとれるというのが国文学のうれしいところだと思うんですよ。
LGBTQなどという言葉のなかったころである。100人くらいは受講していただろうが、選択科目なので男子はすくなく、女子学生が大半であり、そして先生も女性。そういう女子90人、男子10人くらいが大きな講義室で
そうか・・女性とのセックスを極めた男性は、男同士でヤりたがるんだな
ということを女性講師に教わって卒業単位を得た。
ぼくの脳内では、男色とかバイセクシャルは、「わびさび」や「茶の湯」といっしょくたになってインプットされている。
宣教師フランシスコ・ザビエルは、一神教と一夫一妻制、そして男色の罪を日本人に説明することの難しさを本国への手紙で嘆いています。
ザビエルがいくら悩もうと、こっちのほうが先を行っていたのである。
そんなわけで、同性愛というのは理解しやすいけど、さまざまな性愛のかたちのなかには、ポリアモリー(複数恋愛)みたいなものもある。
ポリアモリーというのは
関係者全員の合意を得たうえで、複数の人と恋愛関係を結ぶ恋愛スタイル
という意味である。これに対立するのがモノガミーで「一対一の恋愛関係」のことで、ザビエルが持ち込んできたヤツである。
今の時代、みなすっかりザビエルに洗脳されてしまったので、複数の相手と同時並行で恋愛になるのを「自然なことだ」と感じる人を理解するのはむずかしい。だから、ポリアモリー人は、死ぬほど悩んでいる。
ポリアモリーは「不倫」や「二股」と誤解されるがそれはちがう。ちがいは「関係者全員の合意を得ている」かどうかにあって、つまり、ウソをついていないかどうかだ。関係者全員が、そういう関係に納得して受けいてれているのがポリアモリーなのである。
たとえば、ある既婚男性が、配偶者以外の女性Aさんとつきあっているとしよう。その男性は、妻のこともAさんのことも同じくらい深く愛しているとしよう。そして妻も夫を深く愛しており、Aさんも既婚男性氏を深く愛しているとする。そのうえで、Aさんにはほかにもつきあっている彼氏がいて、その彼氏を、既婚男性と同じくらい深く愛しているとする。
この場合、既婚男性とAさんとは、一見するとポリアモリーに見える。おたがいに複数とつきあうことを前提につき合っているのだからそう見える。
そしてこの場合に、もし既婚男性氏の奥様もその事情を納得しているなら、これは完全にポリアモリーだ。しかし、もしこの奥様が
私と夫は一対一で愛し合っている
と思い込んでいて、そして夫がその誤解を解く努力をしていない場合、つまりカミングアウトしないで、こっそりAさんと付き合い始めたらそれは不倫だ。ポリアモリーが悪いんじゃなくて、こっそり付き合っているのがよくない。これは
ウソをついている
のが悪いというだけだ。ポリアモリーでいちばんだいじなのは「合意の上で」という点にある。(ポリアモリーとは?【実践者が、日本の現状を解説】)
さらにそのウソがばれて妻が心理的に苦しんだとしたら、その「自称ポリアモリーの既婚男性」と「ポリアモリーのAさん」は、妻に苦痛を与えた加害者なのである。
繰り返すが、これはポリアモリーが傷つけたのではなくて、ウソと裏切りが傷つけたのだ。
妻のアタマが古くて性の多様性を理解できないから勝手に苦しんでいるだけ
みたいなへ理屈は、何百年未来になろうが通用しない。いつの時代だろうと、隠し事をしたほうが悪いのであり、これは
統一教会に選挙応援してもらっていることを認識していなかった
と言い訳している政治家が責められているのと同じことだ。政治と宗教の関係がどうたらいうムズカシイことは抜きにして、ウソをこいたら責められても仕方ないのである。
さて、ぼくはポリアモリーでもべつにいいタイプだけど、今の配偶者がそういうのを理解しなさそうな人なので、そういうことはしていない。
結婚前は3パターン経験している。「1 対 2」と「2 対 1」と「10 対 1」なんだけど全部書いていたらきりがないので、「10 対 1」だけちょこっと書いてみよう。(性的描写が苦手な人は以下を読まないでください。)
相手の女性は10人くらいの男性&女性とまとめて付き合っていた。ぼくもその一人で、ぼくの相手はその人だけだった。ただし、この女性はポリアモリーというより、よほど性欲が強くて切り替えの早い人だっただけだと思う。
よく「英雄色を好む」というけど、
女傑色を好む
といった感じで、興味を持ったらやらないと気のすまない「性の冒険者」だった。
でも、こっちも納得しているので何の問題もない。というか、この人には「わたしの知らない世界」をたくさん案内してもらったので感謝しかない。
「人生でいちばん尊敬する女性は?」ときかれたら迷わずこの人だ。
そもそも、むちゃくちゃ仕事のできる人でないと10人の相手を切り回すことなどできない。そのうえで、1回1回、全員に対して豪速球のストレートでせめて来るのである。ぼくの打席にもつねに剛速球だけ投げてきた。そしておもてうらがいっさいなかった。
どのくらいあけっぴろげかというと、たとえば、ぼくとですね・・大人のすぽーつをいたしている最中にですね
こないだA国人とやったんだけどサ。デカいのデカくないのって、もう死ぬかと思ったわよ
こういう会話をしつつ、すぽーつするわけである。そんな人は後にも先にも他に知らない。
そのうえ、声がマンモス大きくて、かんじんなタイミングになると、甲子園のアルプススタンドの応援団長より
かくじつにデカい声
を発していた。たとえお産でも、あそまで大きい声を出す女性は存在しないと思う。これは誇張ではなくて、なんというか・・いつもその瞬間に、ホテル全体の
気配が止まった
のを肌で感じた。これはマジでほんとです。うまく説明できないけど、全館のすぽーつ選手たちが一瞬、息をのんで動きを止めたのが伝わってくるのだ。
ぼくは、そんな異次元な体験の連続に感謝していたし、その人のことが好きだったし、他の男性や女性の写真も見せてもらっていたし、すべて納得ずくで、いまおもえばあれは愛だった。愛を叫ぶ女ライオンだ。
しかし、今の配偶者はそういうのを理解しない人なので、いまはそれに合わせている。隠し事はしていないし、これはポリアモリーうんぬんの問題ではなくて、たんにウソで人を傷つけないようにしているというだけのことだ。
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