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世間の空気は無視していい

首都圏の鉄道では人身事故が多い。

現場の処理には、駅員さんが当たるのだそうだがなかなか大変だと聞く。ただし、毎回、死体を見るたびにゲロをはいていたら仕事にならないので、慣れなければならない。

なれるというのは、悲惨さに対してマヒするということである。

その点、太平洋戦争を経験している駅員さんは、轢死体の回収にはことさら強かったと聞いている。腕や足の一本や二本が落ちていても動じなかったそうだ。

同じことは、殺人現場に臨場する刑事さんとか、司法解剖にたずさわる監察医にもあてはまるだろう。最初はグロさに耐えられないが、そのうちに良くも悪くもマヒしてくるし、そうでなければ仕事にならない。

さて、いまだから言うけど、ぼくは東日本大震災の際にあまり心理的なショックを受けていない。

2008年の四川大地震のときにたいへんなショックを受けており、そこから立ち直る前に東日本大震災がやってきたので、感覚がマヒしていたのだと思う。

そして、今年のウクライナ報道に対しても

戦争は悲惨だ

というようなことは感じなかった。

ミャンマーの内戦ですでにダメージを受けていたし、ナゴルノ・カラバフの紛争にもかなりショックを受けており、ウクライナにあらためてダメージを受ける余裕はなかったのである。

ただし、それをいうなら、ボスニア・ヘルツェゴビナの時点で十分にマヒしていたし、ベトナム戦争やポルポトの時点ですでにマヒしていたといえる。

さらにさかのぼれば、沖縄戦の映像や、原爆投下後の広島の状況を知った段階で十分すぎるほどマヒしていた。だから今回のウクライナ侵攻で、まるで初めて戦争報道に接したかのように、

戦争は悲惨だ

と熱くなっている人の感覚は正直よくわからない。

そして、そういう角度から今回のウクライナに熱くなっていた人は、いまでは膠着したウクライナ情勢に飽きて、知床観光船の桂田社長に怒りの矛先を向けているように見える。

2月から3月までの一時期

戦争の悲惨さ

みたいなことに共鳴しなければ人間じゃないみたいな空気が充満していたが、ああいう空気は長続きしないし、無視する強さを持たねばならないということをあらためてまなんだ。

一方でまったく異なるタイプの人たちもいる。カラー革命やマイダン革命の前からロシアと旧ソ連諸国に深い関心を寄せていたプロフェッショナルな人たちだ。そういう人たちは、そもそも今回の侵攻が始まった時点から、

戦争の悲惨さ

みたいな切り口でウクライナをみていはいなかった。そして5月現在でも、プーチンを悪魔としては見ていないし、それに飽きて知床観光船の桂田社長を悪魔に仕立て上げてもいない。

世界史の転換点としてのウクライナ情勢を、高い関心を持って見守っている。かれらのブレない持続性からも今回おおくを学んだ。

ちなみに、ぼくがいま一番関心を持っているのは、日本政府の財政悪化と日本経済の悪化である。その次に巨大地震だ。そして、その次に中国の出方である。この優先順位は、数年前からかわっていない。

ウクライナよりも知床観光船よりも、こちらのほうが緊急性が高い

こういうことを口にすると、その当初は人でなしみたいに見られるが、数か月も我慢すればさわぎはおさまる。

3月にプーチンに怒り、いま桂田社長に怒りを向けているような人たちには、世界観も問題意識も何もない。世界で一番最後に

あれっ

というような人たちなので、まともにつきあったら損をする。

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