近未来のメガネについて心配していること
いつの時代を生きていようと、人は時代の外側に出ることはできない。江戸時代だろうが、平安時代だろうが、令和時代だろうが、時代の空気の外に出られないのは同じだ。
しかし、映画が生まれて以来、その点がやや改善された。
映画のいいところのひとつは、ちょっとだけ時代の外側に出られることだ。いまなら、2000年代の映画も、戦前の映画も、ストリーミングで簡単に見られる。
そして、いろいろな時代の映画をたくさん見ていると、時代を越えてイイと思えるものについて、自分なりの意見がまとまってくるのである。
たとえば、スーツはダボダボな時代とスリムな時代があって、いまはスリムな時代だけど、昔の映画を見ていても全体にほどよくスリムな時代のほうがかっこよく思える。ただし、やりすぎは禁物だ。いまはやりすぎの領域に近づいているので、そのうちゆったりしてくるのかもしれない。
ネクタイも時代によって太くなったり、細くなったりするんだけど、今はやや細めの時代である。昔の映画を見ていてもやはり、細めの時代のほうがかっこいい。太いネクタイはみっともないと、前々から思っていた。
でも、2000年代に太めのネクタイが流行った時期があって閉口した。店には太いのしか売っておらず、細いのを締めていると「時代遅れなやつ」みたいに見られる。
まあ、ぼくは今後スーツを着る予定はないので、スーツやネクタイがどうなろうと笑っていればいいんだけど、メガネについては笑っていられない。
メガネもレンズが大きな時代と小さな時代があるんだけど、いまはほどよい中間サイズだ。
ちなみに、大正から昭和初期には小さなメガネが流行っていた。ぼくは今でもあのころのデザインがいいと思っていて、かつては下の画像そっくりのメガネをかけていた。
太平洋戦争の動画などを見ていても、軍人さんのメガネはだいたいこんな形である。しかし、戦後、レンズは徐々に大きくなっていき、バブル直前には「ドクタースランプ アラレちゃん」みたいなでっかい眼鏡が流行ることになる。
レンズが鼻のあたりまであるので、クビを動かさなくても地面に落ちている10円玉を拾えるほどだ。
やっかいなのは、こういうのが流行っている時代にレンズの小さな眼鏡をかけていると「時代遅れなオヤジ」感が漂ってしまうことだ。
それで、最近、すこし気になっていることがあって、海外のニュース映像を見ていると、ニューヨークやパリなどで流行の先端にいる感じの人のメガネがなんとなく「アラレちゃん」っぽくなってきているのである。
そう遠くない未来に、世界中にアラレちゃんブームが再来しそうな気がして不安である。そうなると、いまかけている中くらいのサイズのレンズは「時代に鈍感なオヤジサイズ」と化す。いまから憂鬱だ。
JINSのウェブサイトを見ていても全体になんとなくレンズが大きくなってきているような気がする。気のせいであってほしい。
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