見出し画像

ウラの組織とはどういうものか?

ウラ組織ってどこにでもあるものだ。

人生の実感としてそう思う。

すでに別の記事に書いたからこまかく繰り返さないけど、ぼく自身、かつてドラッグのウラ組織や、同性愛者のつながりらしきものに接触されたことがある。

もちろん両者を一緒にしてはいけないし、するつもりもない。前者が人目を忍んでいるのは法律を逃れるためで、後者は社会の目を逃れるためだ。しかし「地下に潜っている」という点だけは似ている。

まさか自分の身の回りにその手のネットワークがあると思っていないので、まったく無警戒だった。でも、かれらは近づいてくる前にしんちょうに狙いを絞っていたということに、あとになって気づいた。

ウラ組織というのは、次にだれにアプローチするか、慎重に狙いをしぼっているものなのだ。

誘惑に負けそうな人間かどうか、チクらないヤツかどうかを時間をかけて慎重に見定めている。そして「いける」と思ったら、まずは酒を飲ませて警戒心を解いてから「もっと気持ちよくなる方法があるんですけど」などと誘ってくる。

芸能人で覚せい剤をやった人が、「飲みに行ったときに急に声をかけられて・・」などといっているが、そんなわけない。仲間に引き込めそうかどうか、時間をかけてチェックしたうえで、飲み会がセッティングされたはずだ。

さて、以上の二つは実体験として「あるな・・」と思うんだけど、それ以外にもこの国には別のウラ組織も残っているらしい。いろんな方面からの情報を総合すると(このあたりはあいまいにします・・)、人身売買のネットワークというのも、だいぶ減ってはいるが今だにあるみたいなのだ。

昔に比べれば人さらいのハードルが上がっているので簡単にはさらえないし、よほどのうま味がないとさらってもビジネスにならない。

しかし、急に姿を消してもなかなか気づかれないような若い女性(そういう家族構成とメンタルを持っている人)を周到に狙い、その上で昔にくらべればずいぶん巧妙に心のケアや体のケアなどもやって逃がさないようにしつつ、最終的には超富裕層と東南アジアあたりが重なるネットワークとつながってゴニョゴニョやっている人たちがまだいるらしい。

そう考えればマイナンバーというものも(問題はあるにせよ)、まんざら悪いものではない。国が行方不明者をすぐに察知して、防犯カメラで最終目撃地点を検索できれば、さらわれにくくなるし、発見されやすくなる。

昭和の頃にそういうテクノロジーがあれば、北朝鮮の拉致被害者問題ももっとすばやく解決できていただろうなあ・・。

リアル空間だけではなく、ネット空間にもウラ側は存在している。たとえばダークウェブみたいなものもあるが、これはその気になればだれでも簡単にアクセスできる。

「オモテの社会が存在する以上、ウラの組織というのもなかなか消えない」のである。地下組織は思った以上に生命力があり、そしてあなたのすぐとなりで口を開けている。

地下組織がいかに手ごわいものか。胸を打たれるドキュメンタリー番組を最近見た。

かつて、ガス室で悪名高いあのアウシュビッツに囚人としてみずから潜入し、内部に抵抗組織を作りあげてゲシュタポ(ナチス秘密警察)とやりあっていたポーランド人がいたのである。

おそるべき気力と体力と知恵の持ち主だ。

しかし、終戦後にソ連の支配下で処刑されてしまい、1990年に名誉回復されるまではほとんど存在を知られていなかった。

今の日本なんか、上からの圧力がほとんどかからないので地下組織もそれほど頑強な根を張らないが、アウシュビッツの内部というのは、明日生きているかどうかもわからないむちゃくちゃな圧力の中にいるわけだ。そうなると抵抗組織というのもものすごーく根強くなる。

いくら引っこ抜いても再生する雑草みたいなものだ。

昔の忍者も、この手の連中だったのだろう。屋根の上に飛び上がったり手裏剣を投げたりしていたわけではなくて、根絶やしにできないほどの結束力をもったウラの組織だったのだろう。

くわしいことは番組を見ていただくとして、ぼくの実感に沿って感銘を受けた点を書いてみたい。

まず根強い地下組織を作りあげるために絶対的不可欠なのは「人、人、人」だということ。一般社会でもそうだけど、アウシュビッツほどの極限状態に置かれたらやりなおしは効かない。

仲間に密告されたらすべてが終わりだ。

いかに人材を選び抜くかにすべてがかかっており、その意味では「観察力」が生命線で、これはぼくが体験したことにつうじる。

しかも、いつチフスで死ぬかかわからない。明日なぐり殺されるかもわからないという状況下におかれながら半年間、一年間をじっと人間を観察し続ける力が要る。

アウシュビッツで地下組織を作りあげることにできる人間にこの世で不可能なことなどないと思わされるんだけど、その土台になるのがやっぱり粘り強い人間観察なのである。

この男、ヴィクトル・ピレツキは、ナチスのガス室のことをはじめて連合国に知らせた人物なんだけど、あれだけの極限状況に置かれると人の心の地金ははっきりあらわれると、その報告書に記している。

道徳の下水溝に落ちる人間もいるが、心が水晶のように澄んでくる人間もいる

ピレツキは、ギリギリの死の淵に臨み、水晶のような心の持ち主だけを味方につけていった。やがてかれは自身は処刑されてしまったけど「水晶」の中には長く生き延びた人もいて、番組のインタビューに答えているのが印象的だ。

これが水晶のこころの持ち主かあ・・

と思いつつ見た。

あと感銘を受けるのは、やはり忍者につうじることなんだけど

暗闘とはどういうものか

というのを実感できる。

昼間はナチスが囚人を何百人も殺すが、夜は囚人の地下組織(ZOWと呼ばれる)が、報復攻撃に出る。

武器も持たない囚人たちがどうやって報復攻撃に出るかというと、まずは時間をかけて看守の1人を味方につける。ナチスを心底憎んでいるドイツ人の若者だ。

それから囚人の中の元医師を仲間に引き入れ、看守の力を借りて、彼を収容所内部の病院に送り込む。

そのうえで、チフスにかかった囚人の服からシラミを採取する。そのシラミをターゲット(密告した囚人や残虐な看守など)の服にしのばせるのだ。

するとターゲットはチフスに感染して病院に送られる。そこで送り込んだ医師が医療放棄するか、または薬剤を過剰摂取して死に至らしめ、医療記録を改ざんする。

ゲシュタポは抵抗組織をあぶりだそうとして囚人をつぎつぎに拷問にかけ、惨殺していったが、組織も粘り強く報復を続けた。

忍者もこうだったんだろうなあと、藤沢周平の時代物を読んでいるとおもわされるところがある。

藤沢小説を映画化した『隠し剣 鬼の爪』という作品があるけど、「隠し剣」というとビジュアル的に映える必殺剣のように思うじゃないですか。主人公の永瀬正敏さんはそういう考えを否定し

隠し剣はそっだらもんじゃねえ!

としか言わないのだが、詳しいことは見てもらうことにして、実質は「チフスのシラミ」みたいなものだ。暗殺を自然死に見せかける技なのだ。

「アウシュビッツに潜入した男」を見ていると藤沢作品にも歴史に裏付けられたリアルがひそんでいるんだなあと感じ入る。こうやって話は尽きないのだがこのくらいにして最後に一つ。

ウクライナの東部地域でも、市民と秘密警察のあいだで、こういう暗闘が続けられているはずだ。かつては

「制圧したロシア軍の秘密警察」 v.s. 「親ウクライナ派の地下組織」

だったのが、つい最近

「制圧したウクライナ軍の秘密警察」 v.s.「 親ロシア派の地下組織」

に切り替わった地域もある。いずれにしろアウシュビッツのような暗闘が続いているとおもわれる。

どちらの秘密警察もむごいことをやっているが、「ウクライナ軍のほうが手ぬるいというわけではない」ことを示す証拠がすでにさまざまな形で出ているので、やがてアウシュビッツのように明るみに出る日もくるだろう。

さて以下は、「映画は見たくないけど鬼の爪だけ見てみたい」という限定です。とはいえ、ここに至るまでの永瀬さんと松たか子さんのラブがあってこその鬼の爪だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?