理念先行の議論はそろそろやめませんか
コロナは終わったと考えている人が多いようだけど、強毒化しているという情報もあるので、本当のところはまだわからない。
なので今日、おくればせながら「武田・ノババックス」ワクチンの1回目を打ってきた。その前後でいろいろ考えさせられたので、書いてみたい。全部は書きけれないので、ポイントだけを書いてみる。
それは「ワクチンに限らず、原理主義的な議論はそろそろやめにしませんか」ということだ。
多様性を排した「あれかこれか」の議論はべつにワクチンに限ったことではなく、同性愛をめぐる対立もそうだし、硬直したウクライナ擁護論もよく似ている。
共通点は、理念が先行しすぎており、話を割り切りすぎているという点だ。しかし、現実はつねに玉虫色なのである。
ぼくは、mRNAタイプのワクチンを打たなかったのだが、かといって反ワクチンというわけでもない。
今ごろになって、わざわざ旧式(組換えタンパク)の武田ノババックスを打つために電車を3つ乗り継いで半日かけてさいたま市まで往復してきた。よくも悪くも中途半端な人間である。そういうどっちつかずの人間として、どっちつかずの議論をやってみたい。
まずはLGBTQからいこう。
性の問題が、異性愛VS同性愛といった単純な図式におさまるなら、LG(レズビアンゲイ)の2文字で済む。しかし、どちらでもない人つまりB(バイセクシャル)もいるということで一文字足してLGBと言われだした。
しかしLGBにおさまらない人もいる。「私は女性であり、そして男性を好きなのだ。ただし、生まれた時からよけいなもの(チ〇コ)がついている」という人もいるので、さらに一文字足してLGBTと呼ばれるようになった。
ところで、ウクライナからワクチンまで話をもっていきたいので、このあたりのこまかな点は割愛します。
そんなこんなで「LGTBQ」となったわけだけど、そこに収まらない人たちをふくめて「LGBTIQ」となり、さらに「LGBTQIA+」となり、最先端は「LGBTQQIAAPP2s」である。
そのうち「TO BE TO BE TEN MADE TO BE(飛べ飛べ天まで飛べ)」より長くなるだろう。
ともかくほんとにいろいろあるわけで、それを「正常(ノーマル)VS異常(アブノーマル)」といった図式に収めたいと思っている人たちは現実を無視したイデオロギー論争をやっているだけである。際限なく多様化する現実に向き合いたくないのだろう。
ウクライナ問題も同じで、「力による現状変更から民主主義を守れ」だの、「民主主義VS専制主義」みたいなことが言われているが、しょせん名目上の議論でしかない。
民主主義ったってアメリカと欧州と日本ではちがうし、おなじアメリカだって力による現状変更を行ってきた歴史はある。アメリカが力にものをいわせて現状変更したことが「ない」と言い張る人は、「アイドルはウンコしない」と本気で信じている人と同類である。
日本の「護憲派VS改憲派」だって同じだ。
平和維持活動の途中で交戦状態になったらどうなるのか。専守防衛かどうかなんて区別できるわけがない。
核にしたってそうだ。事実として日本の米軍基地にはすでに持ち込まれているし、またこの国が核の傘の下で平和を維持しているのは事実だ。あるものをないかのごとく装っているだけで、名目上のごとでしかない。
別に改憲しろと言っているのではないですよ。現実はそんな二つにすっぱりわけられないよと言いたいだけだ。国防の現実は、LGBTQQIAAPP2sくらい玉虫色のシチュエーションなのである。
ワクチンもおなじで、「推進派VS反対派」などという構造は、アイドルのウンコ論争くらいレベルが低い。たとえばこんな報道がある。
厚労省も
と表明している一方で、
という立場を崩していない。非核三原則をまもりつつ、米軍基地に核が持ち込まれているのと似たようなことだ。
こうしたイデオロギー論争のかげで泣いている人が、ウクライナにも、ワクチン接種者にもいる。ぼくの姪もがファイザーを打った後しばらく寝込んでいた。
ただし、ぼくはまだ打ってから7時間なので、「チクっとした」くらいしか言えることがない。変わったことがあればまた後日書きます。
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