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眼の光り方がおかしい・・

「目は口ほどに物を言う」という言い方があるけど、あなたは、眼球にはその人のパーソナリティを反映した光り方みたいなものがあると思うタイプですか。それともないと思うタイプでしょうか。

言い換えれば、目ぢからみたいなものは実際に存在するのだろうか。それとも錯覚にすぎないのだろうか。

さて、今日は、最近よく書いている「ちょこっとおもしろいけど特に内容のない」タイプの記事である。

若い頃から困っていること

それで、ぼくが若い頃からずーっと抱えている悩みというか問題と言うか、別に悩んではいないのだがちょっと困っている不思議なこととして、

眼の光り方がおかしい

という問題がある。その体験談をちょこっとおもしろく書いてみたい。

自分で自分の眼の光りかたなどとはわからないのだが、いろんな人から指摘されるのでそうなのだと思っている。つまり、眼の光り方がおかしいとわりによく言われるわけである。

すでに書いたことがあるかもしれないけど、20代の頃に、有名で聡明なことで知られるある大学教授と飲みに行ったことがあり、3次会あたりで酔ったその先生からずーっと、

君はホモだろう?

と延々言われ続けた。そして

いいえ、ちがいます

と延々答え続けたことがあった。

いや、隠さなくてもいいんだ。ぼくにはわかる。わりにそういうことには理解があるから大丈夫だ・・

となおも心をひらくように仕向けられるのだが、いくら心をひらいても

いいえ、ほんとにちがうんです。

としか言えない。それ以上迎合したら、ウソの自白になってしまう。

そのときはひたすら「いいえ、ちがいます」を繰り返してお開きになったのだが、あとで別な人を介してなおもメッセージが伝わってきて

あの目は絶対にオカシイ・・

とその後もくりかえしおっしゃっておられたのだそうである。まあ、こういうことがいろいろとあるわけだ。全部書いていったらキリがないのだがおもしろい話だけ書いてみよう。

じぶんでもやや自覚がないわけではない。

これもずいぶん前のことだけど、たしかTBSの「報道特集」だったと思う。当時、イタリアの貧民街では、幼いころからドラッグ中毒に陥る子供たちが多かったらしくて、そういう10代の少年ばかりを収容した矯正施設みたいなものをテレビが取材していたんだけど、そこにいる子どもたちがそろいもそろって、カメラに向かって、みょうにぬめったようなキラキラした眼の光り方をしていたのだが、それを見て思わず

あ・・ぼくと同じ目をしている

と思ったのだった。かれらは幼いころからドラッグをやっているので、脳にその影響が出ており、それが、眼の光として出ているのだと思うんだけど、全員が濡れたような妙に光る目をしていた。

これと同じだとすれば、ぼくはヤク中っぽい目をして世間を歩いていることになる。「目は口ほどに物を言う」のであれば、

はーい!ヤク中でっす

という看板を背負って歩いていることになるが、ぼくはヤク中ではない。ヤク中ではないにもかかわらず、ヤク中の看板を背負って歩かねばならないのは酷なことである。

また、これもすでに書いたような気がするが、警備会社に勤めていたころ、同僚のIさんという人から

三島由紀夫どう思う?

としつこく聞かれたんだけど、読んだことがなかったので適当に答えていたら、あとで、なんであんなにしつこく聞いたのかを教えてくれた。

ホモだと思っていたから

なのだそうだ。そうするとぼくはヤク中だけでなくホモの看板も背負って歩いていることになる。

この人は絶対オカシイ

さらに、これもだいぶ前の話だが、一時期付き合っていた女性が、レズビアンで、かつ、ほかにもいろんな性癖(ここには書けない)をもっていたんだけど、その人にはじめてあったときに、目を見て

この人は普通じゃない。絶対オカシイ

と僕の方が思ったのである。なんともいえない狂気みたいなあやしい雰囲気が目から出ていて、体にまとわりついてくるような感じで、とにかく誰が見ても一発で「この人尋常じゃない」と分かるような眼の光り方をしていたので、

もしかしてぼくもこんな目をしているのだろうか・・

と思って不安になったことがある。

有名人から嫌われる

そしてこれは初めて書くことだが、街で有名人を見かけたりしたときに、かなりの確率でぼくは嫌われる。

いまなにかと世間をお騒がせしているお笑いコンビのTKOさんが、まだ中央に進出する前のこと。当時、KBS京都の深夜番組にでて人気が上がり始めたころだった。

ぼくもその番組が好きで良く見ていたんだけどある日、京都の街中で木本さん(痩せているほう。投資詐欺のほう)が歩いているのを見かけたのでうれしくなって

あっ木本さんだ!

とうれしそうに彼を見たら迷惑そうに顔を背けられてしまった。「応援しているのになあ・・」とそのときはがっかりしたんだけど、そのすぐ後に今度は、ジャズピアニストの山下洋輔さんが歩いているのにも遭遇した。

ぼくはジャズ好きなので、うれしくなって

あっ山下洋輔さんだ!

と嬉しそうに彼を見たら迷惑そうに顔を背けられてしまった。木本さんの時と全く同じパターンなので、これはどうやら僕の側の問題である。たぶん、やっかいそうなやつだと思われたのだろう。

ちなみに稲川淳二さんからも、

そういう目で人を見るんじゃない

と舞台上から注意されたことがあるので筋金入りである。ただし、ぼくとしては何もやっているつもりはないので困る。

心当たりがないことはない

さて、ここからが不思議っぽい話になっていくのだが、この目つきの由来にまんざら心当たりがないわけでもない。

ぼくは19歳の時と34歳の時に、なんというか、おおげさにいえば「意識の変容」みたいなことを体験している。

34歳の時には、あからさまに脳にインパクトがあってそれから5~6年間、体調不良に悩まされた後で、色んなことが起こりだしたのでまた機会があれば書くけど、19歳の時にはそういう不調はなかったけど、じぶんでも「目つきが変わった」という自覚があった。

なんというか、それまで目の表面で世界を見ていたとすると、その後は、目の奥の方から見ている感じなのである。

リトマス試験紙として使える

ぼくはサイキックではないけど、サイキックの人には興味があり、「自称サイキック」に会う機会もたまにあるのだが、本当に力のある人は、この目つきに敏感に反応して、にやりとしたり、びっくりしたりするので、本物だということがすぐにわかる。

いわばリトマス試験紙みたいなものであり、その意味では重宝している。ただし、ぼく自身にはとくに特殊な能力は何もない。まあ、そういう背負いたくもない看板を背負って歩いているという話です。

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