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嫌いな人は自分に似ている

まずは「あおり運転」の話から。

あおり運転の犯人に対する世間の怒りにはすごいものがある。

あおり運転は、もちろんやってはいけない危険な行為だ。腹が立つのは当然である。ただし、あおり運転に対する世間の怒り方は、連続殺人犯に対するよりも激しい感じがする。

東名あおり運転事故では、2人の方が亡くなった。一方、熊谷連続殺人事件では6人だ。相模原障害者施設殺傷事件は19人。埼玉愛犬家連続殺人の場合は4人。池田小学校事件は8人である。

怒りが人数で決まるわけではないが、ぼく自身の怒りの大きさから考えても「東名あおり」に対する怒りはあきらかに他の事件を越えている。なぜだろう。

じっさい、埼玉愛犬家事件の場合は、怒りよりも「怖い、気持ち悪い」のほうが強い。常軌を逸しているというか、理解できないというか、殺害後の「ボディを透明にする」という手法にいたっては、グロいという気持ちしか湧いてこない。

逆に言うと、東名あおり事件の場合は、理解できるし、感情移入できるから腹が立つのだとおもう。

ぼくも、ハンドルを握ってわずかに人格が変わった経験がある。ただし、それがいけないことだとわかっているからふだんは自分を抑えている。だからこそ、我慢していないやつに対しては余計に腹が立ってしまう。

たとえば、この有名な千葉あおり運転のドライバーはだれひとり殺していない。他人の車に傷すらつけていない。それでも熊谷で6人殺したペルー人の数千倍くらいの怒りを買っているように思える。

みんなががまんしているのに、まったくがまんすらしないバカ野郎があらわれると日頃抑えているものが爆発するのだ。

暑いのに我慢してマスクをつけている隣で、マスクをしないで大声を出しているヤツを見かけたらバカ野郎と思うのと同じである。

ところで、なぜハンドルを握ると感情が荒れやすくなるのかについてだが、たぶん、クルマを運転している状態は、仮面をかぶっているのに近いからだろう。匿名に近くなるので、普段とは違う自分が出てしまいやすい。これは専門家もだいたい同じことを言ってるらしい。

「没個性化」と呼ばれる心理状態だそうで、車に乗ると自分が匿名化したような気持ちになって責任感が薄れやすくなる。ひとりではやれないようなひどいことを、集団になるとやってしまうのと似た心理なのだそうだ。

そう考えてみると、これはSNSで誹謗中傷が起こりやすいこととおなじなのである。

つまりTwitterでいろいろと腹が立ちやすいのは、ハンドルを握って路上に出るのイライラするのと似たようなことなのだ。

そうすると、noteが平和なのは、ここにいる人がTwitter民よりも上等だからではなくて、この場所が公園みたいな場所だからだろう。

Twitterに書き込むときは、雑踏の中で独り言を言っている気分だけど、noteでは宛先のない手紙を瓶に入れて海に流すような気分で書いている(笑)。そんなメルヘンなことはやったことないけど。

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