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下を向いて歩こう

世のなかには楽天的な人もいれば、悲観的な人もいるわけだが、さて、どちらの方がいいのだろうか。

これまでそういうことを考えたことがなかったし、だれかの意見を聞いたこともないんだけど、普通に考えれば、あまりに楽観的なのも問題だし、過度に悲観的なのも考えものである。つまり、適度に危機感を持っていたほうがいいが、あまり思い詰めてもロクなことはないというあたりが無難な答えなのだろう。

楽観的な人は悲観的な話題を好む

なぜこんなことをかんがえたのかと言うと、いまぼくがメインで付き合っている面々には、この先世の中がどういう風になっていくか、つまり未来を予測することに興味を持っている人が多いのだが、そのほぼ全員が(僕を含め)未来をかなり悲観的にとらえているのである。

では、それで慌てているかと言うとそんなことはなく、「じゃあ、どうやって生き残るつもりですか?」と問うと、その全員が

たぶん自分はなんとなるような気がする

と答える。僕も実はそう思っており、それがどういうことかというと、悲観的な未来予測を語り合って喜んでいる連中などと言うのはおしなべて楽観的な人間だということなのだろう。

逆のことも言える。俗にスピ系といわれている人々は

これからスバラシイ新世紀がやってきます

みたいなことを信じている人が多いのだが、そういうことを信じたがる人達の多くがかなり心配性だ。以上をまとめれば、楽観的な人は悲観的な話題を好むし、悲観的な人は楽観的な話題を好むということになるだろう。

上を向いて歩いている

ぼく自身は、こないだも死刑制度について書いたし、ホラー映画も好きだし、心霊関係も好きだし、世の中のダークサイドについてあれこれ首を突っ込むのが好きな人間なのだが、根はそうとう楽観的だ。だからこそ、暗い世界に首を突っ込みたがるのだろう。

というようなことをかんがえつつ街を歩ていたんだけど、気づけばぼくはいつも上を見ながら歩いている。これは単なる癖なのだが、交差点ではだいたいマンションの階数を数えているし、貸しビルの2Fや3Fの看板を見ながら歩くことが多い。

前や下を見ていることはあまりないので段差などに引っかかることもある。周囲の人間のこともあまり観察していないのだが、あらためて見渡してみるとほとんどの人は「しっかりと前を向いて」歩いているみたいだ。これはいいことなのだろうが、ぼくは苦手で、なぜかというと前を見るとどうしても他人と目が合うし、人と自分をくらべたりしてしまうのが、めんどくさいからだ。つまり、浮世を直視するのがめんどくさいので、上を向いて歩いているといえる。

ずいぶん浮世ばなれした生き方をしてきたので、そういうことが歩き方ひとつにも表れてくるのではないだろうか。それなら下を向いて歩けばいいではないかと思うかもしれないが、そういうこともごくたまにある。それは気持ちが沈んでいる時である。

下を向いて歩いた時期もある

かつて人生でかなり追い込まれ、悲観的な展望を抱いていた時期が2回あったんだけど、その2回とも、しょっちゅうお金を拾っていた。お金と言っても10円とか5円玉だが、2、3日に1回くらいは拾っていた。

なので、お金を拾う時期が来ると「今自分は調子が悪いんだなあ」などと思っていたのだが、なぜお金を拾うのかは考えたことがなかった。神様が恵んでくれているのかもしれない等と考えないでもなかったが、実はそういう時期はずっと下を向いて歩いていたからお金を拾っていたのではないかと今にして思う。

ちなみにここ10年くらい1度もお金を拾ったことがないので、上を向いて歩いているのだろう。電車に乗るときも同じで、他人と対面で座ることになるわけだが、最近はスマホをうつむいて眺めている人が多い。しかし、スマホが目が疲れるのでぼくはだいたい天井を見ている。

「上を向いて歩こう」という優れた歌があるけど、すでに上を向いて歩いている人間に「上を向いて歩こう」というのはかなり余計なことなので、個人的にはあまり刺さっていない。むしろ、「しっかりと足元を見て歩こうよ」と言われたほうが心に残るだろう。

まあそんなわけで、このnoteでも暗い話題を好んで取り上げるのだが、それは気楽に生きているからだということになるのではないか。

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