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低欲望が地球を救う

これまでなんども書いてきたことだが、 ぼくはコロナ禍の行動規制になんのストレスも感じていない。世界で280万人の死亡者を出している大災害に対してこういうことを書くのは申し訳なく思うけれども、事実は事実である。

ストレスを感じない理由のひとつは、もともと家の中にいて平気なタイプだからである。一日一回公園を散歩できれば十分だ。

もうひとつの理由は、欲望が小さいからだろう。食事にも衣服にもこだわらない。車が欲しいわけでも、家を建てたいわけでもない。宝石にも時計にも、海外旅行にも興味はない。キャバクラにも、競馬場にも行きたくない。人と会わなくてもとくに支障はない。ただし、知識欲だけは肉食恐竜並みにある。

かりに独居房に入れられても、くさい飯をたべて、本が読めて、適度な運動さえできれば、不満なく生きていける自信がある。

パンデミック以前、こういう変わり者は肩身が狭かったが、いまではこの手のライフスタイルもある程度の市民権を得たので、ラクに生きられる。

ところで、家の中の娯楽といえば、読書、テレビ、ゲーム、ネット、料理、手芸、音楽鑑賞、園芸など。

一方、外でやれることは、外食、コンサート、旅行、ドライブなどだ。

両者をくらべてみると、後者の方がお金がかかる。そして、エネルギーを多く消費し、温暖化ガスの排出量が増える。

今話題の本、斉藤幸平氏の『人新世の「資本論」』を読むと、グリーンニューディールであろうと、SDGs(持続的な開発目標)であろうと、経済成長を前提とした資本主義システムの枠内で、気候変動に対処するのは本質的に不可能だというこということがよくわかる。

とはいえ、いきなり社会運動を起こして資本主義のシステムを変革できるとは思えない。せっぱ詰まれば、斉藤氏の言う「気候毛沢東主義」、つまり中国のような専制システムによる管理社会に移行せざるを得ないだろうがそれは避けたい。

とはいえ、金持ちが争って生き残りを目指す「気候ファシズム」もごめんである。

ならば、低欲望の人が増えることが、地球を維持するうえで唯一の好ましい道ではないだろうか。

もちろん、欲望の旺盛な人に清貧をおしつけるのが得策だと思わない。なるべく早く感染が収束し、思う存分、外を動きまわって消費にまい進できる日がくることを祈っている。

一方、Z世代と呼ばれる若者には、ぼくと似たタイプが増えているのだそうだ。むりな経済成長を欲しない方向へ、若い人が自然に向かっているなら好ましいことだ。

Z世代だけでなく、これから生まれる世代には、もともと欲望が小さい人が増えていくのではないか。

欲望をムリに規制するのではなく、もともと欲望や行動半径の小さい人が自然に増えていくこと。これが、社会システムの変化を促し、人と地球の共存を可能にする唯一の道になるのではないか。


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