クライマーズ・ハイ

日本にとって8月は1年の中でも最も特別な時期なのだと、子どもの頃から感じていた。

夏休み期間、お盆でなんとなく世の中全体が「お休み」モードに入っている気がする。世の中全体の流れ、時間の流れが止まっているかのような、不思議な感覚。

もしかしたらお休みモードというよりも、常に、未来、将来、先へ先へ、前へ前へ、と向かい続けている私たちの意識が、1年のこの「8月」という時期は、過去や昔のことに想いを馳せているからなのかもしれない。

1985年8月12日に起きた日航機墜落事故。当時私は生まれてもいなかった。生存者4人、死者520人という未曾有の大事故だったそうだ。この事故を報道する記者たちはどのように取材し、どんな思いで追いかけたのか。地元新聞社の記者たちの物語が、横山秀夫さんの「クライマーズ・ハイ」だ。

作者の横山さんは実際に事故当時、墜落現場である群馬県の上毛新聞社の記者として現場を取材した記者だったそうだ。

物語は群馬県の新聞社・北関東新聞の記者で、同事故の全権デスク(記者の統率や紙面制作の責任者のようなもの)に任命された主人公を通じ、墜落した8月12日から1週間の怒涛の日々が語られている。

新聞社独特の社内対立構造、過去の栄光にすがりつこうとする上層部とのいざこざ、新聞という紙面を制作する上でどんな人たちのバイアスや圧力がかかっているか、といった新聞社内部のリアルな事情がわかる。事故現場の凄惨さや生々しさを描いているわけではなく、それを目的とした小説でもないため、そういう描写が苦手な人にもぜひお勧めしたい作品ではある。とても有名なお話で映画・ドラマ化もされている。

「何が伝えられるのか」「なぜ伝えなければならないのか」。

とてつもなく大きな災害に見舞われた時、その凄惨な現場を目の当たりにした時、人が感じるのはきっと圧倒的な無力感だ。

災害というのは「自然」なのだと感じる。地震や台風、豪雨はもちろんだし、人間も自然の一部であるから、人間やその文明が引き起こす事故もまた、ある意味で自然なのだと思う。

自然は容赦ない。善悪という概念がないから、人間であろうと、植物や木々であろうと、動物であろうと、有機物だろうが無機物だろうが、何もかもを飲み込んでしまう。その一方で温かく守ってくれるし、そして新しい命を育んだりもする。そこに矛盾は一切ない。もののけ姫の「シシ神」様のようなもので、きっと生も死も司っている。生と死は本来、矛盾する関係のものではないのだろう。

人間はでも、そうした自然の恐ろしさ、それが引き起こした悲しみに向き合う生き物だ。それにあがらうために文明を築いてきた。そして、人間が生み出した文明の利器である飛行機が新たな災害となったのがあの事故だった。

当時まだ生まれてもいなかった私が、今でもあの事故のニュースや遺族の方々の想い、当時必死に救助活動を行った方々の話を聞くと、涙が出てくる。人間はきっと、うんと深いところで他人とつながっているのだと心からそう思うのだ。

新聞は記憶を記録するものだという言葉を聞いたことがある。自然を前に人は無力だ。でも、人は語り継ぐ。決して忘れないと心に刻む。過去を忘れず、未来に生かすという意志がある。もう二度とこんな悲劇を起こすまいと心に誓う、強い意志がある。

新聞はたくさんの人たちの記憶の媒体なのだ。あの時、凄惨な事故現場を見た記者たちが何を思い、何を伝えたかったのか。なんのために、いったい誰に、伝えたかったのか。

それはもしかしたら、未来に生きる私たちへだったのかもしれないと、ふとそう思った。



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