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死ぬことを思えば

死について考えたとき、本当にやらなければいけないことなんて、何もないと思った。

昔『死ぬまでにしたい10のこと』や『最高の人生の見つけ方』という映画があって(題名うる覚え)、その中でたしか主人公は死ぬまでにしたいことをリストにして実行していったんだけどね、私は本当に死を目の前にしてやらなければいけないことなんてあるかな?と思ってしまう。


よく死ぬ前の後悔第1位が「もっと冒険すればよかった」だというけれど、本当にそんなこと思うかな〜。

たくさんの「ありがとう」でいっぱいになるんじゃないかなと私は思ったの。


できなかったことより、できた小さな幸せの積み重ねが奇跡のように煌めいて愛しくてありがたくて別れたくなくなる、それならわかるような気がする。


神様の目の前に立ったとき、自分なんてどんなに無力なのかを思い知る。

人は生まれることも死ぬことも自分では決められない。

全てが命の成すままだと、死を目の前にしたら誰でも実感するだろう。


だから、与えられた時間と環境と肉体の中で、精一杯生きた自分に、もっとあーすればよかった、こーすればよかったなんて、私は思いたくないし、そんな後悔する心の在り方ではいたくない。


いつも自分を認めてあげていたいし、命の流れに逆らわず在るように在って、流れるように流れていきたいと思ったんだ。


反対に生きることを考えたときの方が、しなければいけないことは沢山あって、それが変なプレッシャーになるように思う。


人に恥ずかしくない理想的な生活をしなければとか、子供を立派に育てなくてはとか、親孝行しなくてはとか、老後に備えてお金を貯めなくてはとか、なんか色々めんどくさいことを考えなくてはいけなかったりするよね。

(私はあまりごちゃごちゃ考えないようにしてるけど。)


でも、死ぬことを思えば、そんなことって本当にどうでもいいことだと思わない?

何をするかはどうでもいいことで、何が本当に大切なのかといったら、何が起きても起きなくても、どんな時も自分が幸せになる考え方をして、目の前の輝きに気づけるかなんだ。


私は生きることのどうでもいいことに翻弄されそうになったとき、この本質にいつだって帰ってきたいと思う。


私はこれからの人生、どんなときも自分を愛して過ごしたい。

責める時間は少なくして、求める時間も少なくして、沢山の「ある」こと、好きなこと、側にいてくれる数少ない本当に大切な人に「ありがとう」と「大好き」を毎日言って生きるんだ。


それが私にできることで、私の側にあって触れるもの、体験できることだから。

果てしない欲望に駆られて後悔なんかしないで、ああ今日もあるな、あるな、ありがたいな〜と思いながら生きたいよ。


肩の力抜いていこう。

ないものを作ろうとするのではなく、あるものを小さく育んで愛でていくんだよ。


死ぬことを思ったとき、私はそんな生き方がしたいと思ったし、それが一番ナチュラルだと感じた。


今日も私は今日が愛しかったよ。


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