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「愛する」という感情が分からなかった私が、ママになるということ

 娘が生後1ヶ月を過ぎた頃、夫が気分転換にと、一人で外出する時間をくれた。丁度、娘が生まれた季節は夏と秋の間のような時期だったので、いつの間にか外気温は冬に近くなっていて、着ていく洋服にとまどったのを覚えている。新しい洋服が欲しいと思った。
なのに、いざ店内に入ると、自分の洋服よりも娘の洋服売り場に足が向いた。
身体が、勝手に。
頭で考えるより先に。

私は、とまどった。

「喜ばしい」とか「子供ができるとそういうもの」とか、そのような感情はなかった。だからといって
その行動を拒否することもなかった。
純粋に、とまどった。
私の本能に、私がついていけなかった。

遡って考えてみると、ずっと母親としての実感がなかったように思う。
子供ができたと分かった時、本当に嬉しかった。女の感とはすごいもので、実際には何となく予感はあった。けれど、それが形として証明された時、なんともいいようがない喜びを感じた。私のお腹の中には、赤ちゃんがいる。

その瞬間、私は「ママ」になった。昨日までは、いや、数秒前までは「ママ」でなかった私が、「ママ」になった。

不思議なもので「嬉しい」けれど、お腹の中に一つの命があるということの想像が出来なかった。病院でエコー写真をもらった時も、愛おしさはあるものの、このお腹の中にある小さな小さな命を体感することはできなかった。

早々につわりが出現した。このつわりは生まれた2日後まで続くことになるのだが(唾液つわりとでもいうのか・・・ひたすら異常な量の唾液が出続ける。)、つわりが「赤ちゃんが育っている証拠」だなんて考える余裕も優しさもなかった。唾液とそれに伴う吐気に、自律神経が乱れたことによる目眩も加わり、正直、「もうやめてくれ。」と泣いた。
初めて胎動を感じた時、「いるっ!!」と感動し、「ママ、頑張るっ」なんて思ったけど、それも長くは続かなかった。

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