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クレーマーに遭遇したとき、考えていること


窓口にいると高圧的な態度を取る人をよく見かける。

自分よりふた回り以上長く生きている人が、理不尽なことを言い、周囲に構ってもらっている姿を見て、ひどく滑稽に思えることがある。


もし、自分の20年後の姿があんな感じなら、ただただ情けない。


私は社会人なので、仕事中は当然、組織の一員としての「立場」で話をする。

でも時々、そんなことには考えが至らないかのように、自分の要望を通そうとする人もいる。

相手の言動がどの立場によるものか、それを考えられるのが社会人ではないのか…


「立場」を考えながら政治や経済、社会を見ることで、ある言動についての真意を理解できるのではなかったか……


淡々と接客をしながら、そんなことを考える。

私だけならまだしも、周りのお客さんも困惑しているのを見ると、「この人に周囲が見えてないのなら、私もこの人は見えてないものとしていいか」という気持ちになる。

「あ、これは通じない」と思えば、私は心の中で相手を未知の土地に放り込む。

誰もあなたの経歴など知らない街に。
興味のある情報は他にいくらでも飛び交っていて、誰もあなたのことなど興味がない街に。


特殊かもしれないし、だいぶ性格悪いけど、結構おすすめだ。


これをすると、相手に興味がないのに話をしている理由(=立場上)が自分の中ではっきりする。
(ああ、これは社会に求められてやっているのか。)


また、自分が社会人としての私を演じ、状況に対応しようとしていることがわかる。
つまり、いま私はペルソナを被っているのだと頭で理解できるのだ。
(真の自分の言動と異なっていても良い。)

クレームに対して謝るのも、枕詞をつけてのお願いも、ペルソナを被っているからできる。

相手の権力や経歴、態度に畏れをなしているからでは決してない。

この人は、たとえ言葉が通じなくても同じような態度を取るのだろうか。

どんな状況、どんな相手にも同じ態度を取るのだろうか。

社会的動物にはそんなこと不可能だろうに。


「うんうん、私は良いペルソナを被っているな」と納得して、今日も淡々と仕事を進める。


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