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映画『キャラクター』と家族、宗教、無戸籍

アマプラで映画『キャラクター』を観ました。
以下、ネタバレしかない感想です。

Fukaseさんが気持ち悪い(褒め言葉)

Fukaseさんが本当に気持ち悪い。仕草の一つひとつも不気味だけれど、印象的なのはです。

少年っぽさの残る声が、アイデンティティが確立されていない両角にマッチしていて、唯一無二の人物になっていました。

目については完全に個人的感想というか感覚。Fukaseさんがまだ深瀬さんだった頃、曲で言うと『幻の命』とか、『虹色の戦争』の頃に近い気がしました。10年以上前だし、全く違うFukaseさんなのだけど、狂気が宿っていて力強さがあるのに、そこにいない感じが…(語彙力)。

余談ですが、セカオワではアルバム『ENTERTAINMENT』の「不死鳥」という曲が一番好きです↓


細かいところが気になっちゃう

終盤、警察側の対応は突っ込みどころが多かったですね。映画やドラマではよくあることだし、違和感はなかったですけど。

犯人の殺害方法も大胆すぎて・・・。目撃者なしに殺し終えるのか疑問だし、返り血や、揉み合った時の怪我もどう処理したのか。疑問に思う部分は多かったです。

でも演者の演技力で、多少の違和感をねじ伏せられた感はあります。それがもはや気持ちよかった(笑)
演者が豪華でしたよね、見たいと思った大きな理由です。


菅田将暉にできない役ってあるのかな?

34の最終回で、「人を殺したい衝動を抑えられる人間と、抑えられない人間に分けられる」(細かく覚えていないけどそんな感じ)と書かれていましたね。
つまり、現実に移すか否かの問題で、人間の根底には少なくともそうした欲求があると山城は書いていることになります。

山城は否定してきた自身の悪の部分を認めているのだと思います。いざナイフを持った時の山城の顔は、漫画を描いている時より生き生きとして見えました。さすが、菅田氏…。

菅田さんに似合わない役が思いつかないのは私だけですか?


ラストは中盤でだいたい予想がつくが・・・


産婦人科の駐車場の会話から、ラストの展開は想像はつきました。わかっていても、両角が山城たちに迫っていく過程はやっぱり恐ろしかったけど・・・。あとは、山城と夏美を襲った後、どこで物語を切るか問題。

ラストの
①山城が目覚めたところで終わる→山城の今後の人生は?
②夏美が感じた視線の正体は?
③両角の裁判のシーン→僕は誰なんだ?の意味

3点が気になりましたね。



勝手に考察!!!!

①山城は自分を癒して生きていってほしい(願望)

山城は自分の内にあった狂気と今後向き合っていくわけですよね。それまで漫画という手段で抑えられていた衝動が、これからどう抑えられていくのでしょうか。それとも?

山城は「34」のような漫画は描けないと劇中で何度も繰り返していました。

(むしろ両角が描きそう。自宅に油絵があったし、仕事道具を興味深そうにいじっていたので。)

両角を見ても思ったのですが、結局は、他人との関わりで自己を理解していくのだなあと。

山城も他人(両角)を通して、眠っていたキャラクターを引き出されました。他人の影響は大きく、思ってもみないキャラクターが引き出されてしまうこともあります。善と悪は紙一重だなとあらためて感じました。

では、受け入れがたい自分の一面をどう受け入れたらいいのでしょう

全く受け入れなければ、他人を通して嫌な自分を見た時に苦しみは倍増します。受け入れてしまえば、両角や辺見のように歯止めが利かなくなり、何の罪もない被害者を生みます(二人も間違いなく被害者ではあるけれど)。

どちらも避けるには?
この映画を観て考えたのは、自分を癒す手段を身に着けておくことです。それが山城にとって漫画だったのだから、漫画を続けてほしいし、どんな話であれ描くだろうなと思います。病室で清田のスケッチも映ったし、愛する家族もいるし、私は希望をもってしまいます。
(夏美がこのあと殺されたら、山城もどうなるかわからんけど・・・)

清田もヤンチャな過去をもちつつも、刑事として働くことで、自分を癒していたように見えました。

自分を認めてあげられること、自分を癒してあげられる手段、どんなに小さなことでも見つけておくのは重要だと思いました。

そうして自分を慰めながら踏ん張るしかないのかなと、そんなふうに私は考えます。


②夏美が感じた視線の正体は、辺見?

・辺見は両角のアシスタント的存在だった
・アシスタントから独り立ちして漫画家になった山城

この2点と、辺見は両角の崇拝者という点を踏まえると、物語として自然な気がします。

ただ、辺見は清田(単独)を殺しているし、辺見には両角のような「幸せな4人家族」への執着はあまりないように思えます。それでも夏美を狙っているのは、両角の後継者という意識があるのかでしょうか。そこが一番疑問です。

裁判の結果次第、または逃げ出したとすれば両角の可能性もなくはない…エンドロールの何かを2回刺す音は、殺しそびれた夏美ともう一人の子を狙ったとか(双子のうち一人は既に亡くなっている?)。

あの村出身の、両角以外の「4人家族に執着する新たな殺人犯」もあり得るし。




考えるだけで恐ろしいのでそろそろやめましょう・・・。



③家族と宗教、そして無戸籍

両角の生い立ちから「家族と宗教」「無戸籍」の問題に触れていたけれど、これらの要素をどれだけ入れるかで話が大きく変わってしまいます。
今回は問題提起するのみで抑えていて、物語を邪魔していないところが私は結構好きです。

両角の生い立ちを詳細に描くと、彼の悪の根源がすべて「社会制度」や「周りの環境」のせいになってしまう気がします。

たとえば、家族から解放されたとして、無戸籍者の制度的問題が解消されたとして、私たちが偏見なく彼らを受け入れることができるのでしょうか。

両角の「僕は誰なんですか」という問いは、私にも 投げかけられていると思います。

何が「私」を決めているのか。
自分を定義するものがなくても、自分も他人もありのままを受け入れられるか。

まとめ

最近「家族と宗教」について取り沙汰されているからか、すごく考えさせられました。

存在意義を感じられる場所作りって、個人じゃどうにもならない場合も多いと思うんです。やっぱり人との関わり、つまり運ですよね。


両角と辺見、清田と刑事(中村獅童のほう)を見ていると、運とタイミングで180度違う人生になってしまうなと思いました。

信頼とか、安心感とか、受け入れてくれた相手にそういう感情を抱くことができる、そういう関係性が誰かと築ける。誰か一人でもいいんです。

そうすることで「自分が誰か定義することができないもどかしさ」を超えていけるんじゃないか、法廷での両角を見ながら考えたことです。

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