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「強者の理論」という感覚

前に友人と仕事観について会話していた時、

「それは強者の理論だ」と言われたことがあった。


僕にとっては正に逆位置に相当する価値観であったので、非常に印象深い出来事だった。


自分の中で改めて「強者の理論」について整理できたのでここに保存しておく。


まず、僕は自分では自分の価値をかなり低く見積もっている、

というより、外環境との比較を意図的にしないようにしている。

比較対象とするのは過去の自分だけ。

したがって、今の自分は必ず明日の自分に越えられるべき存在であるので、

価値の相対評価としては「低い」ものになる(と思っている)。


結論から言えば、この価値観の差異はニアイコール時間軸の認識齟齬によるものだと言えるだろう。

人は何かを比較するとき、「今」という空間的に同じ時間軸の中で評価をしがちなんだと思う。

例えば、同じ年齢であったとしても

サッカー歴20年の人間と野球歴20年の人間が

互いに未経験のダーツで競った場合、大抵の場合野球人の方が優れているだろう。
(指先の感覚が後者にはあるが、前者には無いだろう)


つまり、背景に存在する文脈を無視して比較しているのだ。


仕事観についても、議論した時点で彼と僕には2年ほどの時差があったし、

いわゆる根性についても、指を骨折しながら剣道の練習をしていた僕の方がしぶといだろう。


大前提として、僕は人間の脳みその構造からして、適切な比較対象のもと、全人類に大差ないと考えているので

何かしら能力に差が存在するのであれば

それは単純に経験が事象として表出したに過ぎないのだろうと思う。


ジョブズやアインシュタイン、ニュートンも言っているように

人類の叡智は福利的に影響して発散・収束していく。


これは僕自身の実体験からも納得していることで、

限りなく高い密度で継続していれば、いずれ世界の全体性がふわっと見えてくる。

仏教で言うところの「悟り」に近いのかもしれない。


いずれにせよ、「強者の理論」なんてものは存在していなくて

単純な時間軸の差異であるのだ

というのが僕の結論。



個々人の価値観の差が議論の中で影響していた節もあるが、そこは一旦置いておこうと思う。

小脳的な論になりそうだし、

それを考えるに僕は経験が浅すぎる。

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