見出し画像

Arctic MonkeysのThe Carが自分に与えた影響

昨年リリースされたArctic MonkeysのThe Carというアルバムが名盤すぎる。ということはもう色んなメディアで語られてきるし、今更感があるのだが、本記事では自分がこのアルバムで受けた影響について語っていきたい。まだ聴いていない人は是非聴いてほしい。洋楽好きであれば絶対に聴くべき大大大名盤なので。

まず、自分がこのアルバムからどういう影響を受けたかというと、「音楽を聴くのが楽しくなった」ということだ。

The Carというこのアルバム、名盤というのは前述の通りだが、非常に難解な内容で初回視聴時のインパクトはあまり強くないと思う。2曲目のI ain't quite where I think I amはファンク調のリフが印象的なので、記憶に残りやすいかもしれないが、それでも歴代のアルバムに見られたキャッチーさは感じることができない。

つまり、このアルバムは理解するには再聴、繰り返し聴くことが要求されるされる内容なのだ。繰り返し聴いて、サウンドや展開を咀嚼してやっとものにできる内容だと言える。7枚目ということと、サウンドの成熟度でいうと、RadioheadのIn Rainbowsに詰め寄るレベルだろう。

自分もこのアルバムは理解に時間がかかった。特にSculptures of anything GoesやJet Skis on the moatはなかなか音が体に染み込むまでに長い時間を要した。ただ、この聴き込みのプロセスは自分に予想外のものをもたらしてくれたのだ。

それは前述のように音楽を聴く楽しさだ。自分は来日公演のチケットを取ってしまったので、今回のアルバムの理解は必須条件だと考えていたため、とにかく聴きまくって理解に努めた。すると、徐々に体に馴染んでくる感触が少しずつ掴めてきたのだ。まるで、洋楽を聴き始めたころのような感覚を追体験できていた。

いまの時代はサブスクで次々に曲を飛ばせてしまうから、気に入らなきゃスキップしたり、別なアーティストを聴くことができる。しかし、今回のようなな状況になると流石に逃げられない。昔の曲だけ楽しめばいいのでは?という考え方もあるけど、自分の音楽好きとしてのプライドがそういう楽しみ方を許さなかった。

だからこそ聴き込めたし、このアルバムの理解に少し近づくことができた。いま敢えて「近づくことができた」と言ったのは、このアルバムの奥深さを考えてのことだ。このアルバム、The Carは聴けば聴くほどその深淵さに打ちひしがれてしまうものだった。正直まだ理解できていないと思う。

音として体に染み込ませたいレベルのモチベーションで始めたアルバムの視聴だが、とんでもない沼に足を踏み入れてしまった。もちろん喜ばしい事態だが。自分は次のArctic Monkeysのアルバムが出るまで、このアルバムの理解を突き詰めたい。「なんか最近のアクモンはちょっと、、、」というギターロック時代で止まってる人は、このアルバムを20周くらいしてほしい。開眼させられる。

こんな一枚のアルバムでワクワクさせられるんだが、やっぱりArctic Monkeysは凄い。次も劇的な変化を見せてほしい。あと、それでワクワクできる自分は幸せ者なのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?