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自分で守ればかものよ 心を守るということは人とのつながりを守ること

ついこないだまでは全く気にもならなかった。他人がマスクをしているかどうかなんて。いや、どんなに暑い日も寒い日もマスクをしている人がいたのには気づいている。しかし、その存在に対して、暑くないのかなあとか、風邪引いたのかなあとか、息苦しくないのかなあなんて、思ったことはない。なぜなら他人だからだ。

それが、どうだろう。

先日図書館に行ったときのこと。
本当に久しぶりに行った図書館は、当たり前なのだろうが、いわゆる学習机的なモノは使用禁止になっていた。外部からの資料の持ち込みも禁止。図書の閲覧は60分までにしてくださいとのこと。もちろん、マスクは必ず着用。帰りの際に、氏名・電話番号・住所まで書いて提出させることを義務づけていた。
なんとも息苦しいところになってしまった。が、それも仕方のないことなのだろう。今は感染の拡大を予防することに全力を傾けなければならない。そうしないと、何かあった場合にニュースになるだけでは済まないだろうから。
私もそのルールに則り、少し残念に思いながらも60分という時間を有効に使うべく本を探し回った。

そのとき、ふと隣にご老人が何冊もの本を抱えてきた。おもむろに胸の前で積み重ねられた本をドサッと机に置くと、まだ向こうに残してきましたという雰囲気を醸し出し新しい本を取りに引き返した。
きっと常連さんなのだろう。
今のご時世家で本を読むのが安全だしなあ、なんてそんなことを思いながら、私は自分の資料を整理していた。
数冊の本を抱えたご老人は、すぐに戻ってきた。さあここから一仕事、といわんばかりに椅子に腰掛ける。
60分。
みんな限られた時間を気にして、急いでいるのかな。

私の60分は終わろうとしている。
本を元の棚に戻し、荷物を整理していたとき、見るともなくご老人の様子が目に映った。

ご老人はマスクをしていなかった。

私が恐ろしくなったのはその時の自分の感情の移り変わりだ。
あれ?マスク着用は必ずと書いてあったぞ。
この人さっき咳払いしてなかったっけ。
きっとこの人は60分なんていう時間も守らないのだろう。
すぐにマスクをしてくるように注意してやろうかな。
だいたい、この図書館の職員は何をしてるんだ。すぐに注意しなきゃいけないのではないか。
今すぐに注意してもらうように職員に言おうか……。

思わずハッとした。
何を考えているのだ、私は。
憎むべきはウィルスであり、人ではない。正しい知識の元に正しく怖がり正しく予防に努める。その人を攻撃するなんて、これでは人災を起こしてしまうではないか。
もちろん、各個人が気をつけてほしいとは思う。私自身ぜんそくの治療を毎日続けているから、気をつけなければならないと思う気持ちは人一倍強いかもしれない。
だが、である。

恥ずかしいとか情けないとかそんな感情ではない。
自分の気持ちを知らないうちに蝕まれていたことに気づかされた。
こんなに狭い心で過ごしていたなんて……。

日に日に増している新規の感染者の中には、自分の行動を後悔している人もいるという報道もあった。たしかに、軽はずみな行動で他人に迷惑をかけてはいけないだろう。しかし、明らかにやり過ぎだと思われる行為もある。もはやそれは人災でしかない。

命を守るということは、自分の心を守るということでもある。そして、心を守るということは人とのつながりを守るということではないか。
自分の感受性くらい自分で守れ ばかものよ。
茨木のり子さんの詩
を思い出した。

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