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すさまじい努力をしたメダリストと均等に活動しなきゃいけない部活の話 縮小化される部活動とスポーツの関係の現実

 働き方改革のやり玉にあげられているのが部活動の縮小、削減、いや、廃止(して地域スポーツへ)。他にもっとやるべき改革はある。なくすべき会議や出張は山のようにある。
 実際、ウィルスの影響で多くの会議や出張がなくなった。しかし、誰も困っていない。本当に誰も困っていない。現場は回っている。出張費や会場費、湯茶の準備などに使われていた予算なるものも無駄にならずに済んでいる。どうか、良い使い方にかえてほしい。
 なくすべきだったものが、きっかけは蜜を避けるという残念なものであったが、粛々となくなっていき、少し余裕が持てたときもあった。そうなると、子どもに直接関係あるものが残されていく方向になるのかと思いきや……。
 部活動縮小の波は収まらない。この流れはどうしても止められないのかもしれない。確かに勤務を超えてやらされているモノである。それに対する残業代も出ていない。特殊勤務手当なるものもあるにはあるが、月に何時間まで、と制限がかかっている。そう。部活指導はボランティア。強ければ強い部活ほどボランティア時間が多い。
 それは、その担当者の趣味の世界になるかもしれない。しかし、学校には「みんないっしょ」という聞こえが素晴らしい言葉がある。教育は平均的に均等にみなが受ける権利があるそうだ。ということは、与える方も均等に分け与えなければならない。だから、これは教育のオンライン化が進まない一因でもある。Wi-Fiがつながっていない家庭は、オンライン授業が受けられないじゃないか!というごく一部の意見にすりつぶされる。
 では、部活は?
 あの部活は土日もやってるのに、なんでうちの部活は土曜日の午前中しか活動しないんだ!という強い意見がある。もっと活動して、強くして、大会で勝って、喜びたいから。で、そういう強い意見に引きずられ、どちらに合わせるかというと、活動しない方に合わせることになる。均等に活動しなければならないから。競技の特色などは関係ないのだ。結局声を上げるほどできなくなっていく。(もちろん、部活をやり過ぎてるから、もっと少なくしてくださいという意見もある。)

 さて、オリンピックで日本の所属の選手がメダルを取ると、やっぱり盛り上がる。テレビもその時期だけはそのニュースでもちきりになる。あなたの記憶に新しいメダリストは誰だろうか?

 オリンピックでメダルを獲得した選手は、とんでもない努力を積み重ねており、心から尊敬する。その選手を支えた家族やコーチの存在も忘れてはならない。選手の名はそれぞれの心に残っているだろうと思うが、ここでは、そのメダルを獲得することができた競技に着目してみたい。順番は特に意味はありません。

レスリング
バドミントン
柔道
卓球
体操
競泳
マラソン
リレー
アーチェリー
フェンシング
テコンドー
カヌー
ウェイトリフティング
馬術
バレーボール
フィギュアスケート
スキージャンプ
モーグル
スノーボード
スピードスケート(ショートトラック含む)
カーリング
ノルディック複合   ……etc.

 思い出せるだけ書いてみた。たくさんの種目で日本所属のメダリストが誕生している。きっと何か他の種目を落としていると思うが、自分が見てきたテレビを一生懸命思い出してみた。

 それで、である。この中で、中学校に部活動にある種目は何個あるだろうか。あなたの通っていた中学には上記に挙げた種目の中のうち何個ありましたか?あなたのにお子さんがいれば、そのお子さんが通う(あるいは通っていた)中学にこの種目のうち何個ありますか?
 地域にもよると思うが、たぶん、ほとんどないのではないだろうか。

 地域の学校の現場では、ソフトテニス、野球、バスケットボール、バレーボール、サッカー、剣道、ハンドボール、ソフトボールなどが盛んに活動しているのではないだろうか。卓球やバドミントンもあるところにはあるだろう。
 しかし、この競技のほとんどがオリンピックではメダルを獲得していない。オリンピック種目でないものもある。(東京オリンピックでは野球とソフトボールは正式種目。)

 メダリストを育てる、という観点のみから言えば、もう学校における部活の意義は存在しなくなっている。このまま部活なんてなくなってしまえば良いのか。

 オリンピックは熱狂をもって応援する。柔道なんかではよく言われるのは。金メダルとって当たり前。銀以下だと落ち込んでるし、応援していた方もなぜだかがっかりする(そんなはずはない!出場するだけでもすごいことのはずなのに!)。
 スポーツは見る者に感動を与えてくれる。勇気をもらえるし、やる気をもらえる。夢を抱く子どももいるだろう。

 オリンピックでは金メダルを取れ!

 だけど、部活はやるな!

 今、現場ではそう言われているに等しい。

 バスケだってバレーだってメダルを目指している。ソフトテニスだってメジャーなスポーツを目指して取り組んでいる(はず。だけど、最近連盟と選手、サポーターたちがギクシャクしている気がする……。テコンドーみたくならなきゃ良いが……。)
 選手たちは、等しくものすごい努力をしている。

 よく考えてみてほしい。このままでは、スポーツ、特にプロスポーツ(や、それを目指すスポーツ)は、一部の人のものになってしまわないだろうか。たまたま環境が整っていたり、その地域で盛んなものだったりする種目が、その地域で産まれた人とたまたま出会い、その人は運良くコーチにも恵まれ、運良く家庭も協力的な家庭だったので、その種目の中で台頭できた、となってしまわないだろうか。それで、世界で戦っていけるのだろうか。
 その種目でトップを目指す選手、目指そうと思っている選手は置いてけぼりではないか。その種目をやってみたいと思える機会さえ奪われていないだろうか。

 例えばソフトテニスは、中学生の連盟登録人数が24万人を超えるそうだ。これは、陸上競技の連盟登録人数をしのいで、第1位だそうである。ところが、高校、大学となるにつれ、その登録人数は激減している。理由は明白。先がないからだ。
 他の種目においてもいえることだろうが、プロスポーツ選手として生計を立てていけるのはごくごく一部の選手だけだろう。多くの選手が途中で現実を知りプロになるのを諦めたりするか、あるいはプロになってから壁をぶち破れずその道で食べていくのを諦めたりしているだろう。
 しかし、夢に挑戦した事実は決して消えることはなく、それは財産として自分の中に生き続けているのではないだろうか。その経験も財産であり、ともに努力した仲間や支えてくれたコーチや家族との絆はこれからの人生においてもかけがえのないものとして存在し続ける。

 大人になった今、いまだに部活の話で盛り上がる仲間。
 草野球や草バスケで一緒に汗を流す仲間。
 ソフトテニス市民大会で白熱する仲間。

 部活がなくなり、スポーツが一部の人だけのものになってしまったとき、私たちは何か大きなモノをなくしてしまわないだろうか。
 その種目のすばらしさを味わうとともに、勝つことの素晴らしさや負けることの悔しさを感じること。
 仲間とともに努力し時間を共有することで得られる友情。
 時には反発することもあったかもしれないが、最後まで見捨てず教えてくれた指導者との人間関係。
 いつも味方で、励ましてくれた家族との絆。
 列挙しだしたらきりがない――。

 スポーツをしている人全員が、メダルを目指しているわけじゃない。でも、メダリストはその全員がその種目に初めて出会ったときに『メダルを取る!』なんて思っただろうか。その種目との出会いは偶然であったメダリストもいるはずだ。もし、その偶然の場が学校の部活であったとしたら……。
 それが、先に書いた“一部の人だけのものになってしまう”ということにつながると思うのだ。

 柔道。競泳、レスリング……。学校の部活にはない多くの種目が、その地域のボランティアに等しいクラブチームに支えられている。柔道なんかは、町の道場の柔道好きなコーチがその楽しさを教えるところから始まっているのだろう。
 楽しさを教えるという場が、部活の場合もあるはずだ。部活は、メダリストを育てる場では決してない。しかし、その一端を担う可能性はある。専門的なことを教えられる顧問がいればそれは素晴らしいことだが、そうでない場合の方が多いだろう。でも、その種目の楽しさを動画で紹介したり、自分には専門的なことは教えられないからと地域のクラブを紹介したりすることはできやしないか。選手も保護者もそれなら動けるのではないか。
 地域のクラブ、学校の部活。どちらも存在して良いはず。

 しかし、もはや学校の先生には、その体力は残っていない。残念ながら現状は、スポーツは町道場の柔道好きに頼るしかない。
 こんなシステムで、「金メダル取れ!」は言えないなあ……。
 まず、「金メダル取れ!でも、部活はするな!」の矛盾から解決してください。

 最後に、各“連盟”の偉い人たちは、あなたの競技があなたが末端だと思っている町の道場や町のテニスコートで今も声を出しながらがんばっている選手とコーチたちに支えられていることをいつも忘れないでいてくださいね。
 まさか連盟登録費とかで、飲みに行ったりしてないですよねえ。

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