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二元論からの卒業~細部に捉われることなかれ

占星術を理解する時に大事なこと、或いは、人生に向き合う時に非常に重要な姿勢・・・それは主観性を超えて、一旦、客観視することであり、できるだけ個の視点を拡大して「全体性」に近づくことです。


ホロスコープ自体がそれを示しています。1室は生まれつきの肉体であり、個々の「知覚」でもあります。私たちは与えられた肉体の中から世界を見ます。1室という場所から世界を見る時、見える世界の範囲はせいぜい180度です。(球体であるホロスコープの1室から4室+10室から12室の左半球しか捉えることができません)


または、自分の太陽星座のある場所から見ると、反対側の星座は見えないわけです。しかし、人間には想像すること、理解することができます。理解しようという想いを持って、どこまでも視点を拡大することができる素晴らしい存在なのです。私たちは自分の知覚を超えて、認知の枠を大幅に拡げていくことが可能です。それが意識進化だと言えるでしょう。


無数の小惑星や感受点を含む様々な要素で成り立つホロスコープですが、最も潜在的な力を宿し、大きな視点を持っている星はやはりトランスサタニアンであり、現時点では、冥王星だと言えるでしょう。冥王星は地球人生、個々の命の旅(人生と意識進化)のゲームマスター(管理者)のような存在です。


このゲームマスターには善悪の概念は一切ありません。善悪という二元性を超えて、すべての生命体がより大きな視点(全体性)に至るための「学びの場」を提供し、そのシステムを維持管理しているだけなのです。


それゆえ、冥王星は私たちに壮絶な体験をも与えます。悪魔のような所業もやってのけます。しかし、実際は、冥王星がそれを行っているわけではなく「悪というエネルギー」にも最大限の自由意思を与えているに過ぎません。


つまり、すべての天体も小惑星も、どこか遠い宇宙に存在してるわけではなく、私たちの内側にあるのです。その視点から見ると、冥王星は「私たちの内なる神」とも言えるかもしれません。善悪を超え、ひとつに繋がり合ったすべての命を「ニュートラルに受け入れる源」であり、「観察者・ただ観ている者」です。


その一番遠い位置、最も全体的な視点から占星術を捉えない限り、私たち人類も二元論から卒業することはできません。確かに、欠損としての月は悪魔的働きではあります。しかし、単に、月が悪いものであるとか特定の小惑星が悪魔的存在であるとか、そのような視点から占星術にアプローチしていくことは、魚座時代の古い理解になってしまいます。


アクエリアスは自由・平等・博愛です。水瓶座はよりニュートラルであり、水平であり、横に拡がる世界観を持つサインなのです。縦に拡がる世界観とは自分と神(創造主)との繋がりが軸になります。それは個々人が内側で行うものです。


しかし、アクエリアスは同胞であるすべての命の中に「神」を見出す世界です。優越感も劣等感も、善も悪も超えて、一段高い視点からこの地上に天の世界を実現していく時代なのです。それが冥王星が示す「蟹座を目指して進む」という意味なのです。


それは、世界を見る視点、占星術を理解する視点、他者に向ける視点、自分に向ける視点・・・すべてに当てはまることです。神は愛するが人間は愛せない。善は愛するが悪はただ排除するべきものだと捉える。尊敬できるメンターは愛するが隣にいる同胞は愛せない・・・


それはアクエリアスが望む姿勢ではありません。フラットとは自由であることです。どんな概念にもジャッジメントにも捉われず、この世界を自由に行き来できる風のような精神。すべての天体や小惑星はそれぞれの働きをただ遂行しているだけです。



あくまで、それを使うことができるのは私たち一人一人に他なりません。善として使うことも悪として使うこともできるのです。そして、この地上の人生において、「意思という偉大な力」ですべてを統括しているのは太陽です。ひまわりのように、いつも真っ直ぐ光を見つめ、魂の願う通りに進み続ける。それが太陽です。


星より意識が上ーーー
マドモアゼル愛先生のこの言葉に感銘を受けて、星読みの世界に入ったユリシスです。すべては自分自身であるということ。すべての天体も小惑星も最終的には自分の中にある意識でしかないーーということ。この言葉を何度でも肝に銘じて進んでいきたいと思います。



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