厳選するという発想がない二日目_180829_0223

平成最期の夏、大切な友人の役を押しつけるということ

 平成最期の夏、大学三年生、留学を秋に控え、まさにこのタイミングしかないと思い、大切にしたいと思っている友人たちを私の家族が持つ別荘に招待した。

 私にとって別荘とは私の子供時代を象徴するものであり、今の私を作ってきた環境の一つだ。20回の夏と10数回の冬といくつかの春と秋をそこで過ごしてきた分だけの意味と愛着と秘密がある。そこにはノスタルジアもあれば、仄暗いうしろめたさも住み着いている。

 私は、家族の別荘があることを多くの人に言ってこなかった。大切な場所であるとともに、知られてはならないような気がした。

 私の身の回りに別荘を持っている人はそういない。「夏休み別荘に行ってきた」というと、騒がれるだろうことは予想がつく。その興奮のなかに羨望だけではなくて妬みもあっただろう。大きくなるにつれて、私は夏休みの予定を友人に話さなくなった。少なくとも正直には話さなくなった。

 そのせいか、私は自分のことについて語ることまでやめてしまったような気がする。みんなと同じでいたかった。毎年夏に別荘に行くこと、そこで馬に乗るのが好きなこと、最近は障害馬術をやっていること、別荘地で洗練された味のヒグマのロールキャベツを食べたこと、馬に乗った後にジェラートを食べたら頬がとろけちゃいそうだったこと、別荘にある七輪でバーベキューするとむちゃくちゃおいしいこと、ある夏超売店で売っていたスモモが絶品だったのにそれから一度もおいしいスモモを食べたことがないこと、別荘でずーっと英語の二次創作を読んでいたこと、親と一緒に別荘でスターウォーズマラソンをしたこと、実はオタクっぽいこと、日本のアイドルや俳優について全くの無知で、ハリウッドスターやビルボードシンガーしかわからないこと、蛇が好きなこと、蛙も好きなこと、特にヒキガエルがお気に入りなこと、夜の別荘地を歩いていると蛙がたくさんいること、鹿も狐もいること、別荘で寝ると天井裏でネズミが騒いでうるさいこと。
 そして、夏の別荘地に一緒に遊べる友達がずっといなかったこと。
 夏休みがあけるたびにこれらすべてを抱えて、誰にも打ち明けないで、私は学校に向かった。

 私は自分のことをあまり話さない、まじめでミステリアスな中高生として、周りの生徒に認識されていたと思う。少し筆が立ったので、全然知名度がなかったわけではないけれど、ほとんどの人からは「ああ、あのお堅くて得体のしれない人ね」と見られていた。

 大学に入って、その状況が少しだけ変わった。大学生になって初めて部活に入ったのだ。馬術部だった。

 馬術部は、体育会系の中でも抜きんでてきついのだと思う。そのせいで、馬術部の人間関係はとても密だった。何せ一週間のうち6日は部員全員と顔を合わせる。これまで経験したことのない人間関係に、私は戸惑った。いろんなことを秘密にしておくことがとても難しかった。その「いろんなこと」の中に、私の家庭(家計)事情は含まれていたが、別荘のことは依然として秘密のままだった。大学に入ってからも、別荘のことだけは絶対言わなかった。それでも何かがほかの人とは違うらしく、自然と裕福な家の箱入り娘認定されてしまった。そのラベリングはとても居心地が悪かったけれど、一方でうっかり別荘のことを話したくなるような友人もたくさんできた。

 部活でできた大学の友人を4人別荘に招待したとき、私はそれなりに覚悟を決めて呼んだ。私は彼女たちに私のことを知っておいてほしいと思ったし、この人達ならからかったり、変に羨ましがったりしないだろうと信じていた。一緒に活動した時間は一年弱だったけれど、とにかく大切だった。この人たちには私はこういう人間なのだと知ってほしかった。

 とても身勝手だと思う。人が他人に抱く感情は釣り合っているべきだと私は考えてしまう。私が勝手にその人を大切にして、勝手に大親友に仕立て上げて、私の用意した舞台でその役を演じてもらっているようで気後れがする。その一方で、人間関係が完璧に釣り合った状態から始まることなんてほとんどないことも分かっている。二者のうちどちらかが初めに動くからこそ、何かが変わる。だから私は、平成最期の夏というキャッチフレーズにかこつけて、一方的に自分が大切にしている場所、部分、思い出、意味を彼女たちと共有することにした。

 私の思いに彼女たちは応えなくていいといえば、嘘になる。応えないままだったら、それこそ私が彼女たちに大親友のマスクをかぶせて遊んでもらっただけになるから。私が彼女たちにかけた思いの百分の一でいいから、私のことを思ってほしいし、私がなぜ彼女たちを別荘に招待したのか、なぜ彼女たちに秘密を打ち明けたのか、その理由をほんの僅かでいいから理解してほしい。

 そういう疚しい期待を込めて、私はこの文章を書いている。私の友人の誰かがこのオープンレターを読んでくれることを、心の裏側で期待している。

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