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へいわとせんそうを考えるじかん〜未就学児向け平和学習の実践記録〜

平和学習、修学旅行…
前職で心身ともに本気をこめて行ってきたことだからこそ、たくさんの生徒に届け切らない前にストップしてしまったことへの悔いと、自分たちの「平和」という状態をつくれていなかった反省から、今はまだ素直に昇華しきれないモヤモヤのブラックホールとなっているテーマ。

自分自身が平和学習を「こわい・ねむい・めんどくさい・むずかしい」とマイナスイメージの塊と思っていたからこそ、本当は大切なこのテーマにふれる機会は絶やしたくないし、得意を活かして学びの場をつくりたいとも思っていて。
でも実際はまだいろんな気持ちに整理がついていなくて、2019年〜わたしに依頼が来た平和学習についてはお断りし、信頼して任せられる仲間にお願いしていた。

今回とっても久しぶりに、「ちっさい子どもたちと平和や戦争について考えたい」という声をいただき、ひさびさにちゃんと考える時間をもったので言語化しておこうかなと。

今までだったら、仲間にお願いねと横流ししていたはずのもの。今回はなぜか、ちょっと考えてみたくなってしまって…真っ白な紙に、今のわたしが子どもたちと平和・戦争を考えるなら、とプログラムをつくってみた。頭で考えるより先に、心が先行して思考にスイッチを入れるような心地が久しぶりで、自分の中にちゃんとこのテーマへの想いはあることを確認できて嬉しかった。


平和ってなにかを考える、話す時間は楽しくないとね

絶対にブラしたくない軸として1番に湧いて来たのは、子どもたちから出てくる、主体的な知的好奇心を大切にするということ。

平和とはなにか?戦争とはなにか?
どんなことが沖縄で起こったのか。
なぜ止められなかったの?誰がやりはじめた?
戦争で無くなったものはなに?
逆に戦争があって良かったことってあるの?

戦争の歴史を知っていると、見えることが多すぎて、伝えたい想いが溢れてしまう。それでもいいと思う。戦争を体験して、生きて平和を大切さを証明しているオジーオバーには、その役割があると思う。
よく分からないウチナーグチで体験したことを語ってくれることも、思い出した時の言葉に詰まる様子や、強がって涙を堪えながら、思い出したくないことを思い出す辛さを見せてくれることも、体験者にしか伝えられないカタチで。

あと10年もしたら、沖縄戦を体験した人が数えるほどになって、この痛みを直接分かち合える機会も減っていく。だから、体験者が意思を持って伝えてくれるなら、辛い経験を思い出すことで命がすり減っていると思いながら、重く、その平和への願いを受け止めたい。

ただ、戦争を体験していない私には、同じ役割は担えないし、聞いたことをそのまま伝えるだけでは届かない。だからこそ、今後、戦争を体験していない人として何をするのか?は死ぬまでのテーマになりそう。
今のわたしに見えているひとつの答えは、学び続ける意欲を絶やさない・学び切ることなんでできないことを前提に生きていくこと。一緒に平和を築き続ける仲間を増やすために、楽しく学びたい。じゃないと私は続かない。

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プログラム①みんなの好きなもの/大切なものをかこう!(導入/アイスブレイク)

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おにぎり、いも、プリキュア、海、おかあさん、アンパンマン、笑顔、ポップコーン、フライドポテト、自分の手足、青色などなど

みんなの大好きが詰まった絵や文字でいっぱい。自分のからだも、いつも見ているキャラクターも、何気なくそこにある景色も、子どもたちは「大切なもの、大好きなもの」としてそこに描いていて、とても素敵な1枚に。戦前の子どもたちに同じ問いを投げたら、変わらずにこんな様子だったのかもな…。


切り取られた世界からリアルを観察、想像してみる

沖縄戦当時のことを想像するための手段はたくさんあるから、選択するために何を目的とするか決めておかないと、ただ嫌悪感を持たせたり、戦争学習トラウマを与えかねない。

今回あまり深く考えずとも、「この時間を過ごした最後に、子どもたちにどんな状態であって欲しいか?」という問いの答えはパッと出てきた。

なぜ?がたくさん出てくる
話したいこと、言いたいことがある
行ってみたい場所ができる
聞きたいことが湧いてくる

どこまで学んでも生きてる間に終わりはないと感じているからこそ、平和や戦争への知的好奇心が消えてしまわないような、平和の実践者であり続けられるようなものにする。

この目的を達成するための手段はいろんなものを試すのが良いと思っていて、できれば対象者の特性に応じて決めるのが良い。今回は未就学児で集中力が数分で切れると考えた方が良さそうだったので、瞬時に印象を掴めるものという視点から「写真」をセレクト。ストーリーが好きな小さい子向けは絵本や紙芝居もアリだけど、幼稚園や小学校でも扱っていそうなので今回はあえて別のものを選択。(実際に子どもたちから、「せんそうのことしってるよ〜」と絵本を読んだとの声があったのでナイスチョイスだった!)

沖縄戦の情報をインプットすることはいくらでもできるけれど、子どもの興味が湧かないことを話しても全く吸収されない。だから、問われないことは伝えない。

白黒の写真を見て、色を塗る
ここに写っている人は何しているのかな?
なぜこの格好なのかな?
この日の天気は?
どんな気持ちなのかな?
この場所はどこなんだろう?
自分なりの考えを持って色を塗ったり、疑問が湧いて手が止まったり

色を塗った後、子どもたち同士で写真を見せ合いながら説明を。
お互いに疑問を投げかけあったり、質問してくれたり、予想を語ったり。戦争に関わることを話しているのに、そこに全く興味のない子はいなくて、前のめりに話す姿が印象的でした。知っていること、多分こうだと思う!という予想もたくさん話してくれて、時間オーバーするくらいに盛り上がり…
知的好奇心を信じることができれば、子どもたちはこんなに語るんだ、と感じさせられる時間だったなぁ。

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プログラム②写真を見て想像してみよう(色塗り→写真についての対話)

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ひとり一枚好きな写真を選択し、色を塗って、写真について思うことを話す。戦争について知っていることがどんどん出てきて、保護者の方も驚き!
戦前・戦中・戦後の写真を混ぜたので、どの時期の写真かな?という問いを一緒に考えながら、沖縄本島北部〜南部までの戦闘や住民の状況の違いについても触れられたのが良かったな。(今回は離島についてはあまり触れず、地域(宜野湾市)のことを中心に)


戦争をしないためには?戦争を止められるのはだれ?

戦争をせず、みんなが話してくれた大切なものをなくさないようにするために、どうすればいいのか対話する。
最後にひとつだけ、「戦争を止められるすごい人がいるって、知ってる?誰だと思う?」という問いを投げた。

お母さん、日本の偉い人、わからないよ〜

少し考えてもらった後に、一人ずつ耳打ちでこっそり伝えてみた。
「戦争を止められるすごい人ってね、実は〇〇(聞いている子ども)なんだよ!戦争が起こりそうだなとか、こんなことしたくないって思ったら、お母さんやお父さんや周りの人に大きな声で伝えてね。止めることができるから」

この終わり方は全く考えていなかったのだけれど、アドリブで降ってきたものを使ってみた。私が自分に伝えたいメッセージでもあるし、戦争を体験したおじーおばーからの話を聞いて得た教訓でもある。

「戦争は、何があってもやるもんじゃないよ」

なぜ?

その問いの答えを自分のものにするためにも、思考停止せずに、知的好奇心をもって少しずつ学び続ける時間を持ち続けたい。

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