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木漏れ日が恋しくて

写真を好きになると良いことがたくさんあるんだけど、その一つが「光と影に敏感になれること」だと思っている。

光と影が生み出すシルエットは、なんてことない光景を惚れ惚れとするような景色に変えてくれる。

影はいつだって美しいけど、私にとってその際たるものは木漏れ日だ。葉っぱのあいだから射す光。風にゆらゆら揺れる形。丸く、やわらかく、有機的なシルエット。これぞ神のつくりたもうた自然の美。

「翻訳できない世界のことば」という絵本を読んで知ったけれど、「木漏れ日」という言葉はどうやら日本独自のもので、木漏れ日にあたる外国語はないらしい。ためしに先日、ドイツ人の友人に「日本には"木漏れ日"って言葉があるのよ、えっへん」と自慢してみたところ「わあ、なんて素敵な語彙なの!」とのリアクションをいただいた。うれしい、えっへん。

9月から始めた旅の中でも、木漏れ日を見つけると嬉々として写真を撮っていた。

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(余談だけど、バイクのナンバーは加工してあるよ)

森の中で見る木漏れ日も美しいけど、私が好きなのは壁やタイルなど、人工物に降りそそぐ木漏れ日だ。人の手でつくったものと、自然とがまざりあう景色。あまりにきれいで、ため息が出てしまう。


が、コロナですよ(このフレーズこないだも使ったな)。


木漏れ日を愛でたくても、なかなか外には出られない。運動不足解消の散歩くらいなら良いと言われるけど、貴重なマスクを10分間の散歩に費やすのも惜しい気がしてしまって家に閉じこもっている。

基本的にインドア人間なので、部屋に居ろと言われる分にはわりと退屈することなく過ごせるけども、木漏れ日ばかりはどうしようもない。

そうだ。

木漏れ日がないなら作ればいいじゃない。

木漏れ日をもしたランプとか、あるんじゃないだろうか。

「木漏れ日 照明」で検索してみる。



あった。

窓のない部屋のために開発された、木漏れ日再現装置を発見した。デモ映像もいい感じだし、さておいくら?と思ったところ、なんとこの装置、商品化されていませんでした……めちゃくちゃ需要ありそうなのにな……。


しかしまだ諦められない。人工的に作れないのなら、もはや緑を育てるしかない。幸いベランダはある。

そんなわけで、スーパーで食料を買いがてら、お花コーナーに寄ってみた。皮肉なことに、会社員時代は足を止めることもなかったお花エリアの素晴らしさに、今になって気づいた。色とりどりの花も、みずみずしい緑も、なんてたくましく美しいんだろう。

気に入ったグリーンを2つ買って帰路につく。

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ひとつはサラサラ、ひとつはもふもふ。


カーテン越しにシルエットを見てみると・・・

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わずかだけど、木漏れ日が見えるじゃないか!

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まだまだささやかな木漏れ日だけど、今日のところはこれで満足です。

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