写真と心の影
6月に撮影した写真を見返して、Instagramに載せるものを選ぼうとしたら、どれも異様に暗く感じた。自動補正された写真を見ると、どうしてこんなに明るく補正されるのだろうと感じてしまい、「シャドウ」を暗くする方向に手動で補正していたんだった。心が沈んでいる時は世界がモノクロに見えると例えることがあるけれど、実際に本当に暗く見えていたとは。不思議なことでもあるし、精神状態を把握するひとつの目安になるかもしれない。
お昼にホッキ貝を食べようと思い、せっかくなので動画に撮ろうとカメラを設置した。カセットコンロがうまくつかず、何度か試しているうちに変な汗をかいてしまった。カセットコンロのつけ方をGoogleで調べても、間違っているところは見つからない(間違えようがないかもしれないけど…)。そんなことをしているうちに、温めたごはんが冷めてしまったのではないか、冷蔵庫から出した酢の物が乾いてしまったのではないかという不安が襲ってくる。やっと火がついたと思ったらカメラはついておらず、カメラをつけると火がつかないという悪循環。数分後、ようやく火がついてホッキ貝は焼けたけれど、美味しいのかどうかもわからなくなってしまった。恋人がすぐに焼けるように準備してくれていたのに、うまく味わえなかったのが申し訳なく、こんなこともできない自分が情けない。思った以上に油が跳ねてしまい、気づける限りきれいにしたけれど、全然きれいになっておらず、帰宅後すぐに恋人が文句も言わずに拭いていた。前もこんなことがあったなと記憶が蘇り、状況説明もうまくできず、ロボットのような喋り方になってしまった。もう今日のことはなかったことにしたい。撮った動画はすべて削除したけれど、頭の中からは消えてくれない。
小さい子どもに「本当の両親はとっくに死んでいる」と伝えるのは酷だから、「遠い場所で元気に生きている」と伝えるように、「傷つけないための優しい嘘」というものがある。知らない方がいいこともあるし、傷つけないために嘘をつくことも必要だという価値観も理解できる。だけど、私は傷ついてもいいから本当のことを知りたいし、見たい。それで動けなくなってしまっても、嘘をつかれるのが本当に嫌だ。母親が祖母に対して優しい嘘をついていて、母親は祖母のためだと言っていたけれど、私は母親が自分が傷つきたくないためだと思っていた。祖母は優しい嘘をつかれたまま亡くなったけれど、母親は満足なのだろうか。祖母は本当は気づいていて、気づいていないふりをしていたのかもしれない。祖母もまた、母親に優しい嘘をついていたのかもしれない。そう思わずにはいられない。
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