見えない世界を必死に追いかけて
朝は肌寒い。風が強く海は荒れていた。
5歳のクリスマスに父親が買ってくれた「漢字の成り立ち事典」がきっかけだったかもしれない。家にある辞書や専門書を読むのが好きだった。本を読むことへの抵抗がなかったから、学校の図書室の本もたくさん読んだ。(学年で本を借りた数が一番多いとかで名前を呼ばれた時は、本当に嫌だったな)教科書も自主的に読んでいたから、テストはなんとかなった。でも授業を理解できたことはほぼ、いや、多分ないと思う。なぜなら。
私は身体が大きく、いつも一番後ろの席だった。目が悪かったから、黒板の字がぼやけて見えなかった。それでも先生が何を書くのかを必死に観察して、書き順やぼやけ具合から何の文字を書いたのかを常に予想していた。黒板を見るのに必死だから、先生が教科書の何ページを開いて何の話をしているのかは耳に入ってこなかった。クラスに馴染めていない自覚はあったから、隣の席の同級生に話しかけて確認する勇気もなかった。
毎日毎日見えない文字を必死に見続けることで、目を凝らして集中する時間が続くから、身体はずっと緊張していた。ただでさえ馴染めない学校という場に緊張しているのに。頭痛や吐き気も毎日感じていた。視力は落ちる一方で、視力検査の際に眼鏡を作るように言われて作ったものの、授業中に眼鏡をかけることはなかった。同級生が「眼鏡デビュー」した時に執拗にからかわれて、眼鏡を取り上げられたり壊された場面を見たことがあったから。
「見えないものを必死に見ようとするだけの時間」を何年も耐えて得たものはあるんだろうか。その後コンタクトデビューして世界が見えたら見えたで、また虚しい気持ちになったのだけど、それはまた思った時に書こうと思う。虚しい気持ち終了。
村上隆さんの「カイカイキキ」で働くデータ部のリーダーの1日に密着する動画がYouTubeのおすすめに出てきたので見てみた。
村上隆さんの作品の経過を「経緯フリップ・履歴フリップ」として全て時系列でボードに貼っているのが興味深かった。私も作品の経過はアナログならスキャン、デジタルなら別名保存で残しておくことはあるけれど、全ては残していない。時系列で見ることで順調に進んでいる時期、悩んで行き詰まっている時期、アイデアを変更した時期、制作が加速した時期などをあとから見返せるのは面白い。制作途中の方が、作者の頭の中がダイレクトに伝わってくるというか、理解しやすいこともある。だからなのか、完成品より過程を見る方が心躍ることが多い。雑すぎて読めないメモとか、急いで消した跡とか、意図しないところに垂れた絵の具の跡とか、印刷には写らないペンで書かれたスタッフへの修正指示とか、そういうのを見るのは好き。
matryoshkaのLP『Laideronnette』購入特典のポストカードとステッカー。
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