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我慢しなくていい私へ

新しい動画をアップした。今回は週末の様子をまとめたもので、家で過ごした日と札幌に出かけて1泊した内容。ただの外出vlogとして作ることもできたけれど、私はメッセージ性のあるものにしたかった。テーマに選んだのは「我慢が得意な私なんてもういらない」という言葉。前回のnoteで書いたフレーズでもある。

少し前の動画を振り返ると、何度も「変わりたい」「挑戦したい」と言っている自分がいる。その言葉のおかげで、口先だけで終わらず、実際に行動に移せたことがいくつもある。何度ももがきながら、変わり続けることで自分を縛っていたものから少しずつ解放されている感覚がある。私は嘘をついて生きてきたわけではなく、むしろ正直に生きてきた。でもその正直さが生きづらさを生んでいたのかもしれない。それでも、そうやって生きるしかなかったし、これからもそうだと思う。そして昔は、本音を押さえ込んで我慢していた。でも今は、もう我慢しようとは思っていない。

おやつ…がまん…?

「我慢すること」とは、辛いことをただ耐えることだとずっと思っていた。だから私は、辛いことを辛いものとして認め、受け入れ、ただ耐えていた。でも実際には、それが自分を深く傷つけていたことに気づいた。心も体も疲弊し、精神的にも追い込まれていたのに、そのことを無視していた。誰かに強制されたわけではないのに、なぜそこまで我慢していたのか?ただ「こういうものだよね」と納得していたのだと思う。

自分にも他人にも期待せず、諦めて生きる方が楽だと思っていたのかもしれない。そんな生き方の中にも、私の本質が滲み出ていたようで、周りからは不思議と「自由だね」「素直だね」と言われることが多かった。

静寂という名のカップ

私は自分に自信がなく、自己肯定感も低い。行動に移すのも人一倍遅い。それでも少しずつ、自分と向き合ってきた結果、今は自分を肯定できることが増え、世界に期待することもできるようになってきた。好きなことをするためなら、どんな問題にも向き合えるし、解決のために動ける。でも、やりたくないことや関わりたくないことには、もう我慢したくない。むしろ、その曖昧さが以前はトラブルを引き寄せていたのだと感じる。

「好きなことはするけれど、嫌なことには1mmも我慢したくない」。まだはっきり言葉にするのはうまく出来ないけれど、そう思える自分がいる。人や物事に対しても、「好き」「嫌い」をはっきり判断していいんだとわかった。これこそが私にとって大きな変化だと思う。

我慢しない生き方が、こんなに楽しいとは思わなかった。だからこれからも、私は自分の気持ちに正直に生きていこうと決めている。

がまんせずいただきまーす!笑

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