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受け入れられることの難しさ

「受け入れられる」ということは本当に難しい。知らない人に作品や私自身を知ってもらうことも難しいし、ましてや「受け入れられる」ことのハードルの高さは相当なものだと思う。例えそのためのテクニックがあったとしても、私がそれを使ったところで「私だけなぜか通用しない」ということが起きるような気がしてならない。仮に通用したとしても、それを心から喜べるかと言えば、喜べないと思う。作品も、人となりも、会話も同じこと。親しい人だろうが、親しくない他人だろうが、私が素直に思った一言を発するだけで、場の空気が凍りつくことは今まで数えきれないほどあった。今だって気を抜くと変な発言ばかりしてしまう。場の空気を和ませるとか、場にいる人たちの感情が動くとか、いい方向に作用することができたらいいのに。受け入れられる以前に、拒否されないだけの最低限の魅力は持っていたいと思う。創作に打ち込みたい気持ちが強い時は、自己肯定が下がっている時。創作に打ち込めば打ち込むほど、日常がおろそかになってしまうのも良くない。こんな自分を受け入れられるように、拒否してしまわないように。

今日もこのはちゃんのことがわからない。暑さでバテているんじゃないか。何か心配なことがあるのかな。具合が悪いのを隠しているんじゃないかな。ああ、喋れないってもどかしい。でも、私が不安になるとこのはちゃんも元気なくなっちゃうよね。作業中ずっと側にいてくれるのはどうして?

でも、こんな顔を見せてくれるのは嬉しいな。すーっと心配事が消えていくような感覚にすらなる。こんな顔を見せてくれて、ありがとうね。

きなちゃんが落ち着いているから、大丈夫かなと思えるのも、ありがたい。きなちゃんも、このはちゃんも大好きだよ。大好き。

にゃーたちの過ごせる場所をDIYした動画をアップした。20分近くになって、なかなか長い。最初のナレーションが大変すぎた。なんというか、昼間は車がじゃんじゃん通るし、家の裏では介護施設の建設が始まって、秋まで続くらしい。午前中もがーがーごーごー音が聞こえてきて、今回は1行読んだら車が通り過ぎるのを待って、また1行読んだら車が通り過ぎるのを待っての繰り返し。ナレーションがただでさえ苦手なのに、これでは読むテンポが作りづらい。

最近の動画では商業利用可能なAI生成音源を使うようにしている。場面ごとにイメージするプロンプトを作って、リズムやら雰囲気やら秒数やらを調整している。場面ごとに合わせているから、全体を通してみるとエレクトロニカやらアンビエントやらピアノやらジャズやらごちゃごちゃしているなと思う。最低限のプロンプトで作っているから、クオリティとしては低いかもしれない。でも、それも含めてどんどん良くなっていけばいいなと思う。

音源を生成している間は少し待ち時間ができる。その間に、次に作りたい動画のアイデアが急に浮かんだ。しばらく作りたい動画のアイデアはたくさんあって、順番に作っていくつもりだったのに、急に割り込んできた。だから今日はイメージする音源のプロンプトを作る、生成中に次に作りたい動画のテロップ文章を考える、出来上がった音源を調整する、動画編集で調整する、また次のイメージする音源のプロンプトを作る…をひたすた繰り返して、私にしては珍しいマルチタスクな感じだった。でもおかげで次の動画のテロップ文章はできあがったし、サクサク進んだ感じでよかった。

YouTubeの動画を公開したらここにその時のことを書くのはいいなと思う。いろいろ自分のことを考えすぎてここに書いて具合が悪くなって、というのはあまりよろしくないサイクルだと思った。もっとラフに捉えたい。書きたい気持ちの時には書けばいいけれど、入り込みすぎてその後の作業に影響が出るのはよくない。カチッとやりすぎるのが癖。この癖を治さず、活かしていけるようにしたい。

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