見出し画像

「人のこころを動かす文章力」をつくってくれたもの。


「文才が森鴎外だ」
「人のこころを動かす文章がかける」
「構成までできる人はなかなかいない

と言われたことがある。


もともと“きれいな日本語”を書くことは得意な方だった。会社員時代から、資料をつくることだけは評価をしてもらえていて、先輩のつくった論文を編集したり、プレゼンスライドを添削したりもしていた。ポンコツだったわたしが唯一輝けた瞬間である。


でも、それはあくまで“きれいな日本語”が書けるであって、“文才”とか“構成力”とか“人のこころを動かす”とはまた別物。


“日本語”ではなく、“文章”が書けることに気づいたのは、こうしてSNSやインターネットを通した情報発信をはじめてからだった。



たとえばこのnote。

雲の上の存在のような、とある経営者の方を、失礼ながらもいじりたおした記事である。

笑い泣く人を続々と輩出した
ことで話題になって、わたしに“文才”というものがもしあるとするならば、それがちょっと垣間見えた瞬間だった。

(実はこの記事は“食事会を開催しても怖がられてしまってなかなか人が集まらない”というこの経営者の方のお悩みを解決すべく、読者に“会ってみたい”と思ってもらえるゴールから設計をして、まさに「人のこころを動かす」を目的に書いたnoteだった)。



フォロワーが約1万人いるツイッター運用においても「共感した」の声をよくいただくこともあり、そうした“人のこころを動かす文章”に今のわたしが支えられていることは間違いないと思う。



そうすると、よく聞かれるのが「どこで文章の書き方を学んだのですか?」「どうやったらそんな文章が書けますか?」「たくさん本を読んでいるのですか?」という質問。



わたしの答えはこう。


文章の書き方をどこかで学んだことは一度もない。そもそも文章の書き方を学ぶものという認識すらなかった。


そして、どうやったら書けるのかもわからない。日本語なんだから、だれでも書けるんじゃなかろうかとも思ってしまう。


さらに、残念なことに、本はほとんど読まない。小説もビジネス書もなんなら漫画も苦手だ。ビジネス書をたくさん読んで賢くなりたいものだが、どういうわけか特にそういう類いのものはわたしには難しすぎる。「おすすめ」されて買ってみたものの、そっと葬られている数々のビジネス書たちが泣いている。半年以上このままだ。

画像1



そう思ったときに、もし、わたしに「文章力」と呼ばれるものが備わっているのであれば、その理由やルーツはもっともっと深いところにあると思った。今日は、それを思い返してみようと思います。



■すべてはおかあさんに褒められたくて

画像2

わたしの“書くこと”のルーツをたどると、切っても切り離せないのが、実の母親の存在。わたしの母親は、保育士をしています。わたしの家は、両親共働き。決して裕福とは言えないけれど、そんな母親が“保育士”という職業柄あつめてきた、数々の絵本に囲まれた環境で育ちました


母親が言っていたことがあります。「ゆりはとにかく子どもの頃、からだが弱かった。そのたびに病院に連れて行くのが大変だったけど、いつも待ち時間に絵本を一緒に読んでたおかげで言葉の読み書きを覚えるのがとっても早かったよ」と。


そう。わたしの母は、仕事も家庭もあるなかで、一生懸命わたしを育ててくれました。時間を見つけては、わたしに“絵本”を通して、読み書きを教えてくれました。夜寝る前に、絵本がぎゅうぎゅうにつまったカラーボックスから、1冊を本を引っ張り出して、母に読んでもらえることがいつもとても楽しみでした。唯一、母とゆっくり過ごせる時間だったからです。


そんな母のおかげでわたしは、誰よりもはやく「読むこと」「書くこと」ができるようになりました。

3歳年上の兄への対抗心もあって、人一倍勉強熱心だったわたしは、小学校にあがる前から、小学生レベルの漢字の読み書きはできるようになり、それでも「もっとこの世に難しい漢字はないのか・・・!?!?」と飽き足らず、30画数くらいあるような難しい漢字を勝手に“つくって”、原稿用紙いっぱいに、インクで手のひらが真っ黒になるまでペンを走らせていました。ただの変態です。

でも当時のわたしは子どもながらに両親に遠慮をして「塾に行きたい」とは言えなかったのです。


そんなわたしに転機が訪れました。


それは、5歳のときに我が家にワープロという革新的なマシーンがやってきたということです。わたしより若い世代の方たちは知らないかもしれないので説明すると、ワープロというのは、ひとことで言えば、インターネットにはつながっていないパソコンのようなもの。

とにかく文章を打ち込むにはもってこいの超ハイパー便利マシーンが我が家にやってきました。母親が、保育士の仕事で、園児向けのお便りや資料をつくるために、奮発をして、そのマシーンを迎えいれたのでした。


わたしはすぐそのマシーンの使い方を母からおそわりました。起動の仕方、ソフトの立ち上げ方、文字入力の仕方、保存の仕方(当時はフロッピー!)。5歳のわたしにはどれもこれも難しいことばかりだったのですが、それはもう執念。



どうしてもそのマシーンを使ってやりたいことがあったのです。それは、「文章をつくること」



これまで、絵本を通して、文字を読むことはできるようになったし、ひらがな・カタカナ・小学生レベルの漢字(おまけに自分でつくったやけに難しい漢字も)を書くことができるようになった。次は、それをつかって、自分の言葉を、文章を、つくりたいと思うようになりました。


紙に書いていたら書いたり消したりが大変だけど、このマシーンをつかえば、自由に表現ができると5歳ながらに確信していたのです。


弱冠5歳でワープロの使い方をマスターしたわたしは、次々とヒット作(※ゆりにこ調べ)を連発しました。どんなものをつくったのか、今でははっきりと思い出せないけれど、「虹の根っこには宝物がうまっているんだよ」と教えてくれた優しい母親に似て、たくさんのどうぶつたちや、魔法がでてくるような、優しいお話を書いていたと思います。


当時のわたしが、何のためにそれを書いていたのか。それは、ただひとつ。“母にほめられたいから”でした。「すごいね」って言われたいからでした。

読み書きができて褒められたから、今度は文章を書けるようになったらもっと褒めてもらえると思いました。そして、おもしろいお話がかけるようになれば、もっともっと褒めてもらえると思いました。

お話を書き上げるたびに、母親に一番に読んでもらうと、「すごいね」「えらいね」「おもしろかったよ」と反応が返ってくることが心から嬉しかったのです。



画像3

そんな母も、わたしが小学校にあがると、だんだんと仕事が忙しくなってきて、一緒に過ごす時間が減っていきました。

仕事の帰りも遅く、人一倍さみしがりでこわがりでひとりではお留守番ができなかったわたしは、月曜日から金曜日までのすべての放課後を習い事で埋めて、少しでも家に帰る時間を遅らせるようにしていました。

それでも、家に帰っても部屋は真っ暗で。返ってこない「おかえり」に「ただいま」をいう日々でした。週末の休みも、持ち帰りの仕事が多く、部屋にこもって黙々と仕事をする母親に「遊んで欲しい」とはいえませんでした

いつしかそんな母親に気を遣い、遠慮をするようになり、「~をしたい」「~に行きたい」「~が欲しい」が言えなくなってしまいました。とにかく聞き分けのいい良い子でいることが、母のためだと思っていたからです。



画像4


そんなわたしが、小学2年生のときに、ひとつだけ「これが欲しい」と母におねだりしたものがあります。それは、1冊のノートです。にこりとほほえむキティちゃんの絵が表紙にどでかく書いてある、うすピンク色の200円くらいのノート。

わたしは、そのノートを使って、母と交換日記がしたいと思ったのです。一緒に過ごせないならそれでもいい。でもちょっとでもどこかでもつながっていたくて。母の負担にあまりならないようにと、子どもながらに考えた方法でした。


母との交換日記がスタート。わたしが日記を書いて、母に渡すと、数日後に母からのコメントが入った日記が帰ってきました。すごくすごく嬉しくて、何度も読み返したのを覚えています。

でも、なかなかうまくはいかないものです。最初は順調だったのに、母からの日記が帰ってくる頻度が遅くなり・・・コメントがだんだん短くなり・・・文字が走り書きになって・・・そして、ピタっととまるようになりました(わたしの三日坊主は母譲りかもしれません)。

こうなったら、交換日記のルールなんて無視です。わたしは2回連続わたしのターンで日記を書いて、母に渡しては、母からの返事を待ちました。それでも返ってきたり、来なかったり。なかなかうまくいきません。そんな中で、わたしの執念がまた燃え始めました。


「どうすれば、返事を書きたくなるだろう」。


今で言う、“コピーライティング”というものが、“人の心や行動を動かす文章”“反応がとれる文章”というのであれば、わたしのライターとしての人生はここがスタートだったかもしれません。


「どうすれば、仕事に家事に忙しく、いっぱいいっぱいの母親が、子どもだましの交換日記に時間をさいてまで、返事を書きたくなるのだろうか」と、6歳のわたしは考えました。

「お返事待ってます」と書いたところで、忙しい大人は簡単には動いてくれません。返事を書けるものなら書きたいと思ってはいるはずなのです。時間や余裕がなくて書けないだけなのです(そうであって欲しいと願っていました)。そこを乗り越えるなにかがあれば・・・。



そして、ある日、こんなエピソードを書いたことを覚えています。

「今日は体育館で走ってころびました。床に手をバシンとついて、手がまっかになってすごくいたくて泣きそうなったけど泣かなかったよ」


そして・・・ついに母親から、待ちに待った返事が。


はっきりとは覚えていないけれど、「えらかったね」。きっと当時のわたしが一番欲しかった言葉が返ってきていたと思います。

このときわたしは、無意識ながら、人のこころを動かすには、自分の失敗体験や心の動きを正直にありありと書くことが大切だと学んだかもしれません。


おそらく母親は、“からだが弱くて病院にいってばっかりだった娘が、元気いっぱいに体育館をかけまわっている姿”、そして“冷たい体育館のつるつるの床に、キュッと音をたてながら手を打ち付けた娘の姿”、そして“一人でお留守番ができないほどに怖がりで泣いてばかりの娘が涙をこらえて立ち上がる姿”を想像し、きっと我がこととして心を痛めながらも、我が子の成長を喜んだのではないかなと、今は思っています。


もしわたしに「人のこころを動かす文章を書く力」があるとすれば、それは今どうこうというものではなくて、わたしと母親のこの関係が原点だと思っています。


大人になった今、こうして“書くこと“がわたしの大好きな仕事のひとつになっていて、当時は両親にしか届けることができなかったわたしのつくった文章を、今ではたくさんの人が見てくれるようになりました。「すごいね」「がんばってるね」とたくさんの人が反響してくれるようになりました。


子どもの頃はさみしかった。でも、そのおかげでこれだけたくさんの人に出会えた。読み書きを教えてくれた母に、書くことの楽しさも難しさもを教えてくれた母に、そして、仕事も家庭も精一杯こなすことを背中で教えてくれた母に、心から感謝をしています。ありがとう。




■追伸
最近、本人にとっては「当たり前」のことでも、他人にとってはそうではないことがこの世の中にはたくさんあると気づきました。


わたしにとってのそのひとつが、“本の読み方”です。わたしは、特別に“文章の書き方”をどこかで学んだわけではないのですが、「わかりやすい文章」「よみやすい文章」「おもしろい文章」「人の心を動かす文章」を書けるようになるための読み方を無意識にしているので、その方法をせっかくなので今日は初公開しようと思います。


わたしが文章を書くときに、意識をしているポイントをあえてざっくりと言語化するなら、(目的にもよりますが)こんな感じになります。

<ポイント>
 ✓漢字とひらがなのバランス
 ✓言葉のリズム、テンポ、間
 ✓共感、あるある
 ✓解像度の高い表現
 ✓寝かしてから編集する 

これだけのことなので、全部を解説しようかと思ったのですが、あえてしないでおこうと思います。・・・というのも、こうしたテクニック的なことというのは、『~文章術』とか『心の動かす文章の書き方』みたいな本にはすでにたくさん書かれているからです。


それでもそういう本がたくさん出ていて、「書くこと」に苦手意識がある人が絶えないのは、概念としてはわかっても、実際に自分に落とし込んでやってみることが難しい人が多いからだと思います。わたしもそうです。


そういう人におすすめなのが、“生の文章に触れること”。要は、読むことです。読者として、生きた文章に触れて、自分の心の動きを感じることです。難しい本を読む必要はありません。



例をあげるなら、わたしは最近この本を読みました。

画像5


「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。」というタイトルからしてキャッチーな本です。

独自のリズム感と文体で中毒者続出!伝説の会社員ブロガー衝撃のデビュー
笑いあり、涙あり、学びあり、感動ありの新感覚本!
すべての会社員の気持ちを代弁してくれると鬼共感の嵐で超話題!
現代における「生きづらさの正体」に迫る!

「働くのがつらいが会社をやめるわけにもいかず悩んでいる」
「いつも悩みがモヤモヤして不安でしんどい」
「人間関係でへこんでしまい落ち込むことが多い」
「ストレス社会におしつぶされ本来の自分を出せずに他人に振り回されている気がする」
「このままの人生で本当にいいのか、いつも自問自答している」

こんなお悩みをお持ちのあなたにおすすめ! 
(Amazonより)


この本は、フミコフミオさんという大人気会社員ブロガーの方が書かれている本で、働くのがつらいしきついけどやめるにはいかないし・・・みたいな気持ちが、ありありとつづられていて、アマゾンにもかかれているように、かなり共感を生んでいるのを見て、わたしもそんな文章を書いてみたいなと思ったので買ってみました。



この本を【文章力をつける】を目的に読むとするならこうなります。

画像6

※本書の内容は実際に本を手に取ってご覧ください


わたしはマーカーやペンを1本手に取って、自分の心が動いたところにとにかくしるしをつけていきます


“心が動いた”は、「おもしろい」でもいいし、「感動した」でもいいし、「共感した」でもいいし、「こんな表現があるのか」でもいいし、「この言葉を自分も使ってみたい」という気づきでもいいし、「なんでこの表現が入っているんだろう」という疑問でもいい。


とにかく、自分の心の動きのアンテナをいつもより10倍くらい高くして、まっさらな気持ちで読んでみること。



この本章の冒頭は

「日曜日の昼下がり、傍らでは、通販で買ったモコモコ部屋着を着た妻が、通販で買った、ソファーに座り、家電量販店で買った液晶テレビを眺めている。」

という書き出しからはじまっています。

アンテナが立っているわたしからすると、この「通販で買った」「家電量販店で買った」という表現が気になりました。なぜならなくても文章としては成立するからです。

では、なぜわざわざどういう経路で買ったかが書かれているのかを考えてみると、その表現があることで、登場人物のキャラクターがより明確にみえてくることに気づきました。

もし「モコモコ部屋着」だけだと、ジェラート○ケみたいな、モデルさんや芸能人が着ているようなおしゃれな部屋着を想像するけど、「通販で買った」と書いてあることで、ちょっとチープで庶民的な印象がキャラクターにつきました。

そして、そもそも店舗ではなく、「通販で」というというところから、あまり外には出たがらない面倒くさがりな出不精さんなんだなという性格が見えてきたり、

でもテレビだけはちゃんと「家電量販店で」買っているから、そういう大きな買い物は絶対に失敗しないようにそこだけは慎重になる人なんだなと想像したりことができます。

これは、実際にそうであるかどうかは問題ではなくて、“いかに解像度高くキャラクターをイメージしてもらえるか”がストーリーには重要なのです。

キャラクターをいかに自分ごとにとらえてもらえることができて、感情をのせられるかどうかが、人の心を動かすかどうかのカギだからです。

こういう視点で、わたしは本を読んで、自分が文章を書くときにとりいれられる引き出しを増やしています。



たとえば、今日のnoteの冒頭。

「文才が森鴎外だ」
「人のこころを動かす文章がかける」
「構成もできる人はなかなかいない」

というセリフから書き出しました。

これは、

画像7

この「怒ることと、叱ることはちがいます」「若者や部下が~・・・」というセリフ調でストーリーがはじまるとグッとつかまれるな、と思ったので、自分の文章に転用をしてみました。



また、今日のnoteの中で、



そんなわたしに転機が訪れました。



・・・と改行をつかったのは、

画像8

この右ページの文章で、改行を使うことで、文章の中にも“間”をつかって、空気をつくることができると気づいたことの転用です。



ほかにも、今日のnoteの中で、

「・・・それは、1冊のノートです。にこりとほほえむキティちゃんの絵が表紙にどでかく書いてある、うすピンク色の200円くらいのノート。わたしは・・・」

と書いたのは、

画像9


その世代の人だからわかる「あるある」や「例え」が共感を呼ぶし、世界観に引き込むことができるという気づきからの転用です(わたしはXも爆風スランプさんもわかりませんが、だからこそ”わかる人にはわかる”が強い共感を生むのだろうなと思っています)。



他にも今日かいたnoteにはそうしたポイントをたくさん意識して、わたしの気持ちが届くように、心を込めて書いてみました。



このように、生の文章から、自分の心が動いたところを抜き出して、自分の文章に使ってみる。その繰り返しが、すこしずつ表現力を鍛えてくれて、自分の思いや温度を読者に届けてくれます。

何も難しい本である必要は全くなくて、むしろシンプルな読み物の方が、余計なことを考えずに心の動きのアンテナを解放して読むことができます


なにか1冊おすすめするとすれば、今日紹介をした「ぼくは会社員という生き方に絶望はしていない。ただ、今の職場にずっと……と考えると胃に穴があきそうになる。」はおすすめでした。


ブロガーさんの書かれた文章なので、とにかく“ネットにウケる”、語彙・構成・リズム感・文体・表現のレパートリーがつまっています。

ブログはもちろんですか、noteの執筆、ツイートづくりにも生かせて、このnoteにたどりついてくださった方にはぴったりだと思います。ぜひ、手にとっていただけたら、感想を語り合いましょう(もちろん内容も、首がもげそうなくらい共感の嵐でおもしろかったです)。

いままで「学ぶ」の意識はなかったけれど、ふと、こうした本の読み方が自然と自分の引き出しを増やしてくれていたので、急きょ思い立って書いてみました。

感想など、ツイートをしていただけると、応援になります!最後まで読んでくださって、ありがとうございました。

<おすすめ>


もし「サポート」をいただけたあかつきには、もっと楽しくて、ちょっぴり役立つ記事を書くための、経験とお勉強に使わせていただきます🌼