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そうだ、京都行こう ―その2―

6月15日

2.泉涌寺(続き)

泉涌寺の山内はたくさんの塔頭と、皇族方のお墓がある。
月輪陵、後月輪陵は時の帝、皇后、御母君(皇太后宣下を受けた人)が「陵」、皇子と女院号を受けた人が「墓」という区分で祀られている。
そのほかに、場所を別にして宮家の墓地がある。

久邇宮は香淳皇后のご実家


梨本宮守脩親王、桂宮淑子内親王、久邇宮(中川宮)朝彦親王墓

宮様のお墓だというのに、葺石もされず失礼ながらただの土饅頭。
幕末で御所も幕府もお金なかったからなのかなぁ。
東京に都が移ってからは宮家の墓所も豊島岡墓地に替わってしまい、遠いご先祖様の墓参もなかなかに大変なことだろうと思う。

3. 六条天皇清閑寺陵、高倉天皇後清閑寺陵

一条天皇の円融寺陵へ行きたかったのだけど、前日に御陵のあたりの山に熊が出たので、お守りしている龍安寺からYさんに「来てもええけど熊出ても責任取れへんで」っぽいことを言ってきたというので、異論なく回避。
さてどうしようかと思う間もなく、
「まだまだ御陵ありますから、時間の許す限り回りますね。」と。
そして案内していただいたのがこちら。

石段がががが・・後方が後清閑寺陵

六条帝って仲恭帝と同様に影が薄く、どんな帝だったっけとwiki先生に訊いてみた()。
うん。赤ちゃんのときに神輿の飾りにされて大人の都合で降ろされて、11歳で病気で薨ってってそりゃあねぇ印象ないわ。
高倉帝は平家物語に出てくる小督との恋物語とかね。あとは建礼門院の夫。
清閑寺には小督の墓と伝えられている石塔がある。
高倉帝としては、寵愛した小督のそばで眠っているのは幸せなことなのかもしれないが、徳子の立場としてはいかがなものだろうか。

4.冷泉天皇桜本陵

住宅地の中に御陵

花山帝のパッパ()
花山帝、本郷奏多君はまり役だったわー。彼ってちょっとアレな貴種の役がはまるのよ。キングダムの成蟜もぴったりだったし。

冷泉の帝は物の怪が付いているとか、気狂いとか散々な言われようなのだが、今でいえばきっと繊細な心の持ち主だったんだろう。
この方「光る君へ」には直接出演はなくても、安和の変()の遠因をつくったひとり。
歴史にたらればはないが、もしも心も体も強い方であったなら「枕草子」も「源氏物語」も生まれなかったし、摂関政治もなかったかもしれない。

5.紫式部、小野篁墓

昼食においしいうどんをいただき、観光の続き。次はお待ちかね晴明神社。
「安倍晴明より強力な陰陽師って誰かご存じですか?」
とYさん。
「芦屋道満?いやそれよりも前なら役小角?それは前すぎ…?」
誰だろうと首をひねっていると
「それは小野篁ですよ」
と。
えっ、小野篁って六道珍皇寺の井戸を通じて地獄と現世を行ったり来たりした人では?
閻魔大王の秘書官やってたって人。イメージ的にこれ(全く違うだろというのはなし)

ほおずきさまー


今回六道珍皇寺はあえてルートから外したのだが…
「晴明神社に行く前にちょっと立ち寄りますね」と連れていってくれたのが、紫式部の墓所。隣は小野篁の墓所。なんで親戚でもないのに同じ敷地?

「紫式部は『源氏物語』という、当時ではいわゆるタブーに触れそうなスキャンダラスな小説を書きました。それで死後閻魔様の判定で地獄に堕とされそうになったのを、秘書官の小野篁が言葉を尽くして何とか止めたという言い伝えがあるんですよ。」
とYさんの説明。
恋愛小説書いて地獄行きって当時の倫理観こわい。

6.晴明神社

平安時代の小説を好んで読んできたので、陰陽師という存在は知っていた。
陰陽師そのものに光を当てた夢枕獏氏のあのシリーズを読んでからは、俄然興味を持つようになった。そして極めつけのこのコミック。

わたしの脳内で「安倍晴明=イケメン」の図式がこびりついてしまった。
そして前回(いつ来たか忘れるほど前)、タクシーの車窓からただ見るだけだった晴明神社にやっと参拝できた。境内は賑わってた。映画効果なのか、それとも羽生結弦氏のFP「SEIMEI」効果なのかその両方か。

晴明公の像を拝すると、「光る君へ」の配役はあながち外れてはいないと思うのだが、やっぱり私の晴明公は野村萬斎氏が一番だ。稲垣吾郎氏でも三上博史氏でもない。もちろん今公開中の映画で演じている山崎賢人氏もイメージとは違う。

抜け出してきたようなお姿

やっぱり、晴明公=イケメンは正義なのだ。

7.仁和寺

「室(むろ)とは修行僧が入る寺のことを言います。ここは、皇室の方が入られたので『御室』と言います。」とYさん。
世界遺産になって、どれだけ観光客がいるのかなってちょっとビビっていたけれどまったくそうでもなかった。

五重塔
左上 金堂(内裏紫宸殿を移築)  左下 中門
右上 勅使門        右下 勅使門遠景

時間も少なくなってきたので、さらっと拝観。金堂では某有名ハイブランドの展示会みたいなことをやってた。縁も金もないし招待もされてないのでそそくさと後にする。
Yさん「仁和寺の宸殿前には御所と同じように『左近の桜』『右近の橘』が植わっています。桜と橘、どちらが男性でしょうか。」
「左のほうが位が高いから桜でしょうか」
「桜は散り際のよさから男性、橘は花も実も香るから女性と言われています」
本当にいろいろな事をご存じでいらっしゃる…

8.後宇多天皇蓮華峯寺陵

仁和寺から、嵯峨野の竹林を右手に見ながら進むと御陵があった。

ママと合葬されていらっしゃる

御陵はこの参道から入ったところ。
池には水蓮が生えていたけれど、花はまだだった。
竹林と松や杉の林が清々しい空気を醸し出している。
同母のなのに兄弟仲の悪い父と伯父に挟まれても、なんとなんと伯父の娘(従妹)に恋をして「盗み出して」しまったという方。人間だもの、感情は止められないよね。あとのことはパパと伯父ちゃん何卒よしなに、だったらすごいな。

9.野宮神社

御陵遥拝を済ませ、右手に広沢の池を見る。
広沢の池といえば広沢遍照寺。遍照寺といえば寛朝僧正。何かで見た気がする、寛朝僧正。思い出した。晴明が蛙殺した話だ。なんでこんなこと覚えているんだろう。

今日はここは素通り。
目的地は、源氏物語の「賢木の巻」にでてくる野宮神社。
伊勢の斎宮に卜定された皇女女王が一定期間ここで潔斎する宮。
源氏が、斎宮について伊勢に下向する六条御息所と悲しい別れをした場所のはずだが?

縁日でもやってんのか、というくらい人いた

もうね、静謐で神懸って神秘的という予想はものの見事に外れた。
ということで、参拝だけしてさっさと境内から出た。
今回の観光で一番がっかりした。
縁結びなら貴船に行けよ←

10.後嵯峨天皇嵯峨南陵、亀山天皇亀山陵

野宮神社から竹林をずっと下っていくと、天龍寺に着いた。
御陵へ行くには、庭園を通らなくてはいけないということで拝観料を払って寺内へ。
庭園や伽藍に一瞥もせず、向かうはこの二つの御陵。
受付に
「御陵はどこですか?」と聞くと、
「そこの竹で立ち入れないようにしてのところの奥です。どうぞお参りください」
とあっさりと言われた。
なんだよー、正面からのほうが近いというかほぼ正門のところじゃないか。

ではでは、と進んでいくと
ありました。

パッパの隣に次男

パッパは後嵯峨天皇、次男は亀山天皇。
次男のほうがかわいかったんですかねぇ、パッパ。
この人が、兄弟の系統のどちらかを嫡流と定めなかったおかげで、大覚寺流と持明院統の争いが始まっちゃうのよねぇ。いつの時代もお家争いは親の代からよ。

11.J1第18節 京都サンガFCvs北海道コンサドーレ札幌

全ての行程を回り終えて、最後JR嵐山駅まで送っていただいた。
一日マニアックな場所を回っていただき、ガイドもしてくださったYさんありがとうございました。
お値段以上のいい観光ができた。
「次は、直接私に連絡くださればまたご案内しますよ」とおっしゃってくださったので、来年も京都に行くことがあればまたお願いしたい。

なお、試合後ぶちギレて書き殴ったのがこちら



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