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noteを始めたこと

エンジンがかかった瞬間。
やはりnoteを始めたことでしょうか。

ほんの少し前まで、わたしは子供の受験や姑の介護などで忙しい日々を送っていました。毎日、やることが山盛りで、本当に大変だった。でも、今振り返ってみると「忙しい、忙しい」と文句を言いながらも、なぜか毎日が充実していたように思います。
ところが、受験が終わり、子供が家を離れ、姑が施設に入所した途端に生活は一変します。あんなにたくさんあった「やること」が無くなってしまったのです。

退屈

あまりにも急に、やらなければならないことがなくなってしまったためか、体の動きが悪くなったような気がしました。「忙しさ」という勢いが原動力となって、わたしは動いていたのかもしれません。「退屈だ、退屈だ」そんな言葉が口から漏れるようになりました。
もちろん仕事はしていますし、家庭菜園もあります。苦手な片付けも残っています。やることは山ほどあるのですが、なんとなく動く気になれませんでした。

そんな時にnoteを知った

なんとなく、ネットの中をさまよっている時にnoteを知りました。多分、初めて読んだのは「退職エントリ」だったと思います。なぜ、「退職エントリ」にたどり着いたのか覚えていませんが・・・
最初のnoteのイメージは、頭が良さそうで、バリバリ仕事をしている人たちが集まる場というものでした。「わたしには無縁」そう思い、その場を離れようとした瞬間、目に飛び込んできたのが「習慣」という言葉でした。

苦手を克服するために習慣をつくる

「習慣」いい言葉ですね。
何をやっても三日ぼうずのわたしには、その言葉は憧れです。
でも、もし、自分の苦手としていることを習慣にできたら・・・
苦手なことが苦手ではなくなるかもしれない。
ちょっと何を言っているか自分でもわかりませんが、わたしはそんな思いで行動してみることにしました。
自分の苦手なこと、「片付け」「断捨離」「文章を書くこと」
これを習慣にしようと思ったのです。

そして今

子供の頃から作文が苦手で、書いては消すを繰り返していたような人間です。
500字程度書くだけでも、ものすごく時間がかかりますし、文章もめちゃくちゃだけど、とりあえず、書くことは継続しています。(毎日ではありませんが)
「断捨離」も「片付け」も、なんとか続いていますし・・・
まだ1ヶ月程度の継続なので「習慣」となると、まだまだかなと思いますが、継続できればいいなと思います。

noteに感謝。








#エンジンがかかった瞬間


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